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聖書のことば
磯  晴久


 わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 (マタイ7・21)


 わたしは今夏、桃山学院大学とバリ・プロテスタント・キリスト教会の協働プログラムである国際ワークキャンプ・インドネシアにスタッフとして参加する機会を与えられた。私は、このバリ教会から多くのことを教えられ、また考えさせられたが、その中から一つのことをお話したい。ご存知のようにインドネシアは九十%以上がイスラム教徒の国だが、バリはヒンズー教の島である。そのバリに十九世紀後半キリスト教の種子が蒔かれるが、長くヒンズー社会からの迫害という苦難の歴史を歩まねばならなかった。しかしこの種子は枯れることなく、一九三〇年代から少しずつ成長を遂げる。バリ・教会は同教会のシンボルとして「マンゴー樹」を選ぶ。この木は熱帯の環境の中に、調和を保ちながら順応し、きつい日差しの下で人々に木陰を提供し、体に良い実をつける。教会はバリ社会の中で、そういう存在でありたいと考えたのだ。そしてバリ教会は、イエスの福音がバリの人々の心の琴線に触れることを願って、大胆にヒンズー文化との対話を始め、それを礼拝の中や教会の建築様式にも取り入れていく。たとえば、ヒンズーの伝統的な舞踏やガムラン楽団、彫刻などである。

 今日の御言葉は、私たちを謙遜へと導く言葉であると同時に、キリスト教やプロテスタントを特別に扱うこと、片寄り見ることが批判されていると思う。大切なのは、主よ、主よと言うとは知らずに御心が行われていることがあるのだ。このイエスの言葉は私たちの視野を広げる。私たちはバリ教会のように他宗教、様々な文化、あるいは他教派との対話にもっと積極的かつ、大胆であっていいのではないか。今年のキリスト教学校教育同盟の総会でもカトリック教会関係学校の方々のお話を傾聴したし、関西地区夏期研修会でもキリスト者ではない方から、宗教教育についてお話を伺った。今後はもっとこうした対話が盛んになるだろうし、必要になると思う。私たちは、「天の父の御心を行なう」ことを求めつつ歩みたいと思う。

〈桃山学院大学チャプレン〉
キリスト教学校教育 2002年11月号1面


(C)2002 キリスト教学校教育同盟