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聖書のことば
鐵口 宗久

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された   ヨハネ3・16

 以前本校の生徒たちに、「クリスマスと聞いて何を連想するか。」と問うたことがあった。多感な年令に相応しく、多様な反応があったが、概ね「クリスマス=プレゼント」というものであり、クリスマス本来の意味を理解していない生徒の多さに驚いた。確かにクリスにはプレゼントという発想は理解出来る。

 サンタクロースに代表される様に、プレゼントはクリスマスによく似合うものだろう。また、プレゼントには贈る方の強い思いも感じることが出来、O・ヘンリー作『賢者の贈り物』にも見られる様に、プレゼント一つで心暖まるエピソードは、沢山存在するのである。ただ、商業ベースに乗せられてしまい、クリスマス本来の意義も知らず、クリスマスにはプレゼントという安易な発想が、蔓延しているのが現実である。

 にもかかわらず、クリスマスにはプレゼントが何故似合うのだろうか。クリスマス本来の意味は、まさしく御子イエス・キリストの誕生を喜ぶ日である。文字通り、キリストの御降誕を祝う礼拝を守る時であるが、同時に、神からイエスという最も大いなるプレゼントを与えられた日も意味するのである。神が大切な独り子イエスをプレゼンとして下さった、感謝の日である。神は私たちを愛してくださり、その愛の印としてイエスをこの世に与えてくださった。この様に、クリスマスが、イエスという大いなるプレゼントを与えてくださった日と考えるならば、まさしく、「クリスマス=プレゼント」という発想は、なんの違和感もないのである。

 間もなくクリスマスを迎える。各校、各々の教派と伝統に基づき、クリスマスを過ごされるが、イエスの御降誕を祝うだけでなく、最も大いなるプレゼントを与えられた日であることを静かに、留意し、それを感謝しながら、素晴らしいクリスマスを迎えて頂きたいと願うのである。



< 鎮西学院高等学校宗教主任 >
キリスト教学校教育 2002年12月号1面


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