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第35回中高聖書科研究集会レポート
「キリスト教学校における宣教」
大橋 邦一

 わたしたちキリスト教学校の教育は、いつの時代も教会の宣教活動との関わりを無視することはできない。学校で聖書を学び、キリスト教に出会い、その成長は多くの場合、卒業後に教会で実るからである。

 「キリスト教学校における宣教ー教会との関わり」をテーマに、第35回中高聖書科研究集会がホテルパールシティ神戸を会場に、10月25日(金)〜26日(土)まで全国から37名の参加者を集めて行われた。講師には多くの若者が集うことで知られている日本基督教団聖ヶ丘教会(東京渋谷)の牧師であり、また『おもしろキリスト教Q&A77』、『福音のタネ、笑いのネタ』、『それゆけ伝道』(いずれも教文館)などの著者でもある山北宣久先生(現日本基督教団総会議長)をお迎えした。

 また、今回の発題は韓国からのゲスト大成高等學校の校牧・元光浩牧師(別掲)と大橋が担当した。
 
 山北宣久先生は講演において、聖ヶ丘教会は立地条件の良さがあると述べられたが、実はそれを生かす様々な工夫、努力がある。日頃から、先生は地道に中高生へ「みことばのしおり」(聖書の言葉のカード)を送って彼らを励まし、教会は「青少年育成基金」を設け、様々な参加型プログラムを用意し、彼らに体験の場を提供しているのである。

 「いかに本物を若い人に与えることができるか。体験、参加型の活動での出会いを通して、若い人たちはメッセージを受け止めている」、「若い人には好きなことをしなさい。何かあれば牧師が責任をとるという姿勢でいる」と、彼らとの関わり通して与えられた先生の深い洞察と彼らに対する愛情に満ちた言葉を語られた。そして教会全体が、年代を越えて集まること、様々な壁を越えて交流し出会うこと、互いに配慮し合うことが自己を成長させること、夜を徹して語り合うことなどの大切さを語られた。

 参加された諸先生からは教会に対して、「若者に通じる言葉を持っていない牧師」、「教会礼拝出席を自由にしたところ、牧師の説教の質に生徒が反応した」、「無牧の教会へ聖書科教員が行き礼拝の奉仕をしたところ、生徒を呼び易かった」、「生徒は教会へ行くにはお金がかかると思っている。説教者の質を求める生徒、生徒が教会を選ぶようになった」、「教会がいままで子供をどのように受け入れてきたのか」という意見があった。逆に「地域の教会の牧師に授業を見学していただき懇談会を持った」、「地域の教会の牧師に学校礼拝で奉仕をしていただいている」、「教会が推薦していただいた生徒を受け入れるようにしている」といった意見も出された。また一口にキリスト教学校と言っても地域性があることも浮き彫りにされた。他宗教の強い地域、農業など地域産業や歳時記を無視できない地域性があることもわかった。

 さらに今回は、元光浩牧師(大成高等學校)による韓国のキリスト教学校(プロテスタント)の現状をお聞きする機会も与えられた。韓国では公私立共に国家の援助を受けて学費は同額であるが、国家の支援があるだけ宗教色の薄い教育となり、聖書も選択科目の一つとなっている。教会でも若い人は減っている。そのため地域のセンターで礼拝を行い、その献金で地域のために施設を作り、奨学金を設け若い人の就学を援助する試みがなされているなど、キリスト教徒が人口の三割近くを占める韓国でも日本と同様な課題があることを知ることもできた。

 キリスト教学校における宣教とは、キリスト教教育の場として生き生きとなることだろう。もっと地域に根ざしたキリスト教育を展開したらどうだろうか。学校礼拝で地域の教会の牧師、信徒の方が奉仕をする。聖書科だが聖書の知識や思想だけではなく、実際に地域社会でキリスト者として生きている方の証言を教室で聞いたり、地域の他宗教も学ぶとよいかもしれない。こうした点から従来の聖書科の領域はより広く深いものとなり、生徒諸君に対して教えるばかりでなく、彼らの体験を通して共に学ぶことができるのではないだろうか。

 山北先生は「日曜、昼からの時間を捧げてくれる大人がいるところに若者は集まる」とも言われていた。まさにそうだと思う。たとえば夏期休業中などを利用して、平日に牧師を訪れれば、もっと人格的な交わりが可能になるだろう。彼らはどれだけお互いのために時間を割き、関心を持ち、見守り、そして体験を共にしたかに喜びを感じ成長する時期にいるからである。

 山北先生の軽快な語り口は、参加者一同にキリスト教学校における宣教の現状を見つめ、今後の聖書科の役割を考え、勇気と希望を与えて下さるものだった。

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キリスト教学校教育 2002年12月号2面


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