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第35回中高聖書科研究集会「発題」
「韓国のキリスト教学校と教会」
元  光浩


 韓国のキリスト教学校は、三百五十六校ある。大学は五十校、中高校は二百八十五校、小学校は一〇校、幼稚園は十。学生数は六十四万五千八百十四人で、これは韓国全体の学生数の約八割にあたる。プロテスタントの学生数はカトリックや他の宗教学校の学生数をはるかに上回る。韓国のキリスト教学校のほとんどは、宣教師の支援による学校として建てられた。その当時の歴史的なものを考えるとき、日本に滞在した宣教師たちが韓国に来て宣教することは、政府から許可されなかった。そこで、宣教師たちは、まず宣教より学校や病院という企業から始めた。韓国の当時の政府は王朝時代であって、その後日本が三十六年間植民地化したわけである。その当時多くの若者たちは社会的な歴史の中で、学校に行って学びたいという情熱が与えられていた。しかし、キリスト教精神で建てられた学校は、実際に若者たちにいろいろなビジョンを与えるものとして用いられていた。その当時の教育を受けたほとんどの人たちは、社会や政治を変えようという改革精神が強かった。特に日本から植民地化された時の独立運動に、ほとんどのキリスト者が参加していた。当時は八十%がキリスト教精神の学校だった。

 ここで大変申し訳ないことですが、植民地化された三十六年間は、キリスト教精神で建てられた学校にとっては大変困難な時代であった。ほとんどの学校は独立運動をする学校ではないかと思われていた。日本の総督府が弾圧をしたのである。当時の学校を運営していた人たちは、ほとんどがアメリカからきた宣教師だった。それで、その弾圧に耐えられない宣教師たちは日本の政府に妥協しなければならなかった。キリスト教精神で建てられた学校も本当にその精神を発展させることができない弱い学校であった。ほとんどの学校は廃業され、日本に妥協し協力した学校だけが残った。

一九四五年以降、もう一度キリスト教精神に基いたキリスト教学校が建てられた。今もなお韓国のキリスト教学校は難しい面もたくさんあるが、なかでも文部省の画一的な文部制度が大変な問題になっている。それは、学校が学生を選ぶ権利がなく、文部省の制度に従って学生を選ばなければいけない。キリスト教学校にもかかわらず、ノンクリスチャンの学生もたくさん入ってくる。ともに礼拝しみことばを教えなければならない、という問題もある。経済的な面から見ると、国からの支援から自立しなければいけないという苦労をおぼえている。授業料は私立も公立もまったく同じレベルである。キリスト教学校は授業料をいただいて、それで運営しなければいけない。数ヶ月間運営したらその資本金がなくなってしまう状況である。経済的に足りないところは国から支援をいただくが、宗教的なイメージや教えはだんだん薄くなってしまう。韓国の教育というものは、社会的に貢献するものがなくなってきている。

 学生たちは、以前は学校の制度に従って科目を受けていたが、今は個人的に受けられない科目は拒否できるようになった。聖書の科目も必修ではなく選択科目になってしまった。そのような環境の中で、礼拝を守りみことばを教えるわけである。それを全面的に拒否したり否定する学校は今までない。

 韓国では今幸いなことに、キリスト教学校は社会的にある程度良いイメージを持つようになった。政府もキリスト教精神あるいは宗教的なイメージを教えることにたいしては否定しない。キリスト教教育というものが、全国的に運動が広がるように皆さんも祈ってください。

キリスト教学校と地域社会の教会との関係について
韓国の初代教会は、地域社会への関心がなかった。ほとんどの教会は学校とか学生より、軍隊や兵士に伝道することに力を入れた。最近の統計では韓国の教会も若い人たちが減っていて危機の状態である。私たちの教会も五年前とくらべると中高校がリバイバルされた教会はひとつしかなかった。五十%以上が減っている状態である。最近では、幸いなことにキリスト教学校について関心をもつようになっている。大きな教会は教会自体が学校を建て、運営するものがある。そういう教会がだんだん増えている状況である。経済的に弱い学校は、教会がそれを受け入れて、支援したり運営するものが増えている。平日は教育の場としてそれを用いる。たとえば日曜日は体育館等の施設を礼拝の場として用いる。学校と教会との関連性、結びつきの場を上手に提携しようという運動が広まっている。問題もたくさんある。学校は土地を与え、教会は集めた献金でその土地に建物を建てる。日曜日にはその建物を礼拝堂として用い、平日は体育館またいろいろな施設としてその建物を用いる。学校の広場や体育館を、日曜日の礼拝場として教会が借りて使う場合もある。その代わりに学校に献金として奨学金を与えて、経済的に弱い学生たちを支援する。

 教団の組織として学校を受け入れて運営するものもある。一般的にキリスト教学校は、その学校に教団が宣教師として牧師や校長、またキリスト教に関心のある理事などを派遣する。教会が宣教師として学校の役員を選んで送り込む。規模が小さい学校もある。牧師を招聘することができない弱い学校がだんだん増えている。

 地域に存在している教会が学校を支援しなければいけない。韓国でも中学までは義務教育で、教科書も無料。キリスト教精神の学校では、聖書は国からでなく学校が生徒に配布している。賛美歌・聖書というものは地域にある教会が献品しなければならない。もちろん、奨学金も捧げる。たとえば私が所属している教会では、約三十名がそれぞれの地域教会から受けた奨学金で通学している。キリスト教学校は地域にある教会との関係をむすびつけて、たとえば教会礼拝堂を借りてそこでクリスマスイベント、イースターイベント等の行事を行うことができる。キリスト教学校でも礼拝堂がない学校は、近所の教会を訪ねてそこで礼拝をして学校に戻って授業を受ける。特にイースター、感謝祭やクリスマスなどの主なイベントの時はその教会を借りて、そこで礼拝を行う。その時に必要なものは、全部教会が提供する。教会とキリスト教学校が一つの共同体となって一緒にイベントを行うこともある。例えば、学生だけのリバイバル集会というものがあるが、講師として近所の教会の牧師を招き、行うこともある。献身した人や求道中の学生を近所の教会に結びつけて紹介することもできる。以上申し上げたように、現在の韓国のキリスト教学校と教会とのできごとや関連性は以上です。

< 韓国・大成高等学校校牧 >
通訳:梁  栄友
キリスト教学校教育 2002年12月号3面


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