ホーム < キリスト教学校教育 < 03年1月号 < 4面


第45回学校代表者協議会
主題 「情報化社会におけるキリスト教学校教育」

質 疑
情報と真理という言葉はどのように関わるのか

  ▽北垣宗治氏 (敬和学園大学長)
 田中先生のお話を興味深く聞いた。情報についてであるが、「『イエスはキリストである』というのは、情報である」という田中先生の情報の考えにある範囲のようなものを感じた。情報には、二種類あるとおっしゃったが、先生が情報という言葉を使われるとき「イエスはキリストである」というのは、情報どころか、それは真理ではないか。先生の世界では、情報と真理という言葉はどのように関わってくるのか。


  ▼田中司氏
 大きな難しい質問です。科学的真理がある。また人間が実験して「わかった」という真理がある。どちらが本当の真理なのか。それと同じようなことで、情報という言葉で全部を言い表せない。今、普通の社会で使われている情報ということは一般的な言葉と五感で感じているもの全てを情報ということになってしまう。われわれ日常的な言葉で言えば、そういうものは情報とは言わないで真理とか、受肉した言葉とかと言う。
 芸術的感動、美しさは情報とは言わないで説明している。しかし、しいて言えばそれも情報と言えるのではないか。情報という言葉にどれだけの範囲があるかどうか私は疑問に思うが。


 ▽山内一郎氏(関西学院理事長・院長)
 「イエスはキリストである」というそれ自体は情報として間違っていないと思う。きょうの全体のテーマから言うと、そこに解釈学の問題が出てくる。聖書の解釈学は新しい現代の解釈学である。哲学者ハイデッガーあたりの影響があると思うが、これは「イエスはキリストである」という情報レベルで分析を試みた宗教学の反動として本質追求の解釈学が出てきたと思う。その場合聖書のテキストを読むというこちらからの問いかけが、こちらに向かっての問いかけに逆転する。そういったことが佐伯先生のおっしゃった受肉ということではないかと思う。
 全体のテーマに関して言うと、情報工学における人間観、つまりIが、テクノロジーとしてのITとの関係でなくて、どうしたらIとYOUを回復できるか。情報工学の人間化が可能か。IT教育を排除するのではなくて、それを包摂する仕方で、本質的IとYOU、神の創造秩序に基づく人間関係を回復できるか。
 今日の話を聞いてITを媒介したIの真価も可能であることが示された。しかしその場合、YOUが水平的な次元の問題ではなく、垂直の次元のYOUの問題がわれわれの究極的関心事である。そこで自然という問題が新しく意味を獲得する。現代における自然教育、IT教育、解釈学が循環的につながっているのではないか。
 そういう意味で、キリスト教学校におけるIT教育、自然教育、そして解釈学に新しい課題を与えられた。

キリスト教学校教育 2003年1月号4~5面



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