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関東地区大学部会研究集会
今の学生とキリスト教教育
浜辺 達男

 「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」(フィリピ三章十二節)。

 このように開会礼拝によって示された聖句に導かれた集会となった。

 「どれだけ楽しい授業がなされているか?」「どんな対話が学生と交わされているか?」との問題意識をここ数年この集会はテーマとして継続している。主題「今の学生とキリスト教教育」がそれを物語っている。去る十二月七日青山学院大学を会場として、例年の二倍二十五名の参加者を迎え、午後から夕刻まで真剣に、しかも和やかに研究は展開した。

 この研究集会の発題者に指名されそれを快諾された方は、いずれも経験豊富なベテランのお二人であった。聖隷クリストファー大学の佐柳文男先生は既に北星学園大学で八年間宗教主任の任を終えられ、現在の医療関係の小規模校にあってそのもてる実力を遺憾なく発揮している。小規模とはいえ、医療全般に強い関心を寄せる世間をバックにして、定員に満たないなどという他のキリスト教系大学、短大とは全く違った好条件下、キリスト教関連教科そのものが、人間形成の基礎となる教養科目となっている。そのような中で六科目全部を先生お一人で担当されている、と言うのは驚きである。さらに驚異的な努力で詳細綿密なレジュメを準備され、教授能力を完全に燃焼されているのが、聞き手に充分に伝わってくる。

 これと全く違ったタイプを示したのが、共愛学園前橋国際大学の鎌田正之先生である。同校の短期大学で6年間、四年制大学創設以来大学で4年間、計10年宗教主任として働いた経験を生かして、男女共学となり、共愛というイメージから前橋国際へと変貌する意図を充分に心得て現在の任務についておられることが参加者によく分かった。共学になっても少しも慌てず、騒がず、小さな事柄についても牧会的配慮に目を向けている。周囲のノンクリスチャン教員の助言を受け入れ、何時の間にか協力者にしてしまう能力は、唖然とし呆れるほどである。学生の支持と同僚の協力は、いずれの宗教主任が心から望んでいるところである。それを何の苦もなくこなしているところは学ぶべき点である。

 討論の時間に入り、多くの方から質問・意見表明がなされ、沈黙なしに時は経過した。佐柳先生に対する意見の要点のみを取り上げるならば、余りにも完璧な授業展開は学生を受講者の立場に追い遣り、対話者、発言者となる自発的態度を引き出すことを難しくする危険がありはしないか? もう少し手を抜き隙を見せて、学生が自分のぺースで考えられるようにする工夫が必要なのではないか? これは余計なお世話かもしれないが。

 鎌田先生の牧会者としての姿勢に共感する同労者も多かったが、地方都市の小規模校の募集対策と学生へのサービスが直結しすぎる恐れはないだろうか? 小規模校に勤務する者全員が苦しい胸の内を見透かされたように思ったのではなかったろうか? 例えば、クリスマス行事の一つとして点灯式を挙行したとき、NHK群馬支局から取材があり、それで更に学生たちにも伝わり例年以上に盛り上がった、との報告に、「それもそうだが…、そこまではできそうもない」と、聞き手は受けとめたようである。

 発題と討論を重ねて得たものを次のように要約できるかと思う。キリスト教教育は宗教主任を中心にしたキリスト教学担当者の、個々の個性に関わっている。その内容、方法は違っていても、各自が現場での試行錯誤を経験して、自分なりのパフォーマンスを身に付けるほかどうしようもない。他人の真似をしても何の力にもならない。しかし、時にはお互いの手の内を見せ合って、自分のやり方に一層磨きをかけることに役立てることである。

 以上のように授業の活性化こそキリスト者教師の目下の最大の課題であることを確認し、このように会議を快適に進めさせてくれた青山学院宗教センターに感謝しつつ解散した。

〈東洋英和学院大学宗教主任〉
キリスト教学校教育 2003年1月号7面



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