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書評

木村恵子著『河井道の生涯――光に歩んだ人』

安積 力也

 今、戦争の惨禍を経て成立したわが国の教育基本法が、巧妙に変質されようとしている。この時、改めて注目すべき一人の日本人女性の生涯を概観できる格好の書が刊行された。

 河井道(一八七七〜一九五三)。若き日、恩師新渡戸稲造の勧めで北米クエーカー主義のブリンマー女子大学に学び、非戦平和への不屈の意志に目覚めて、帰国後日本におけるYWCA(キリスト教女子青年会)の創設を中心的に担い、二度にわたる世界大戦の狭間にあって平和保持のために世界中を駆け巡った国際的女性リーダーの一人であり、後半生をキリスト教女子教育への希望に賭けて「恵泉女学園」の創設とその教育に捧げたキリスト教教育者である。

 「『やはり新憲法と読みあわせまして、初めに私は平和ということを出していただきたいと思います』河井みちは、背筋をのばし、落ち着いた語調で、しかし『平和』ということばを強調し、凛とした態度で発言した」。これは、敗戦翌年の一九四六年、文部省で開かれた教育刷新委員会・第一特別委員会の席上での、唯一の女性委員としての河井の発言である。本書は、教育基本法成文化に向けてのこの発言を暗示的なプロローグとして冒頭に配しつつ、その誕生から死までの七十五年の生涯を、明治・大正・昭和の国内外の時代状況を織り交ぜながら、資料事実に即して、淡々と抑えた筆致で記述していく。読み終えて、驚くべき強靭さと希望の光を保持して「時代」と戦いぬいた一人の日本人女性教育者像が、浮き彫りのように心に残る。

 著者は生前の河井を知らない恵泉女学園の卒業生である。卒業後の長い海外生活の中で、世界各地に今も刻印されている「みち・かわい」の足跡を知り、深い敬愛と驚嘆の念を持って本書執筆を志した。

 私は今思いがけずや、その河井の建てた学校七〇余年後の現場の内側に据え置かれ、改めて創立の理念を「継承する」とは一体何を「引き負う」ことなのかを考える。私は創立者の「無謬性」を信じない。「時代」が持つ制約は不可避であり、河井の言動も時代の歴史性を帯びている以上、その例外ではありえない。それを承知した上で、今回尚も,河井の生涯そのものが発する、抗いがたい「普遍性」を帯びた、しかも極めて「今日的」な問いを三つ、覚えざるをえなかった。

 一つ。「何が“差異”を超えるのか?」。伊勢神宮の神官の娘として生まれ育った河井は、一方で日本人としての自らの精神性と感性を深く自覚し大切に保持しつつ、「国境を超えるもの」を激しいまでに希求した。事実、河井の生涯は、欧米アジアを問わず「国境を超えた友情」に支え貫かれている。何が「日本人河井」をして、度重なる戦乱の只中にあってすら、国家・民族・宗教の差異をこえた地平を求めつづけることを可能にしたのか。

 二つ。「河井は、最後、なぜ“教育”に、しかも“女子”教育に賭けたのか?」。河井は「戦争は、婦人が世界情勢に関心を持つまでは決してやまないであろう」と断言する。そして時代が不可抗的に戦争へと傾く中、「次世代の」女性の教育に賭けた。共学化指向が進む今日、すぐ出る「結果」を強制する教育ではなく、遠い将来に結果する「深い原因」を提供する教育を想う。河井の目に刻印された「女子教育」の固有性と必然性とは、一体何だったのか。

 三つ。「河井は、なぜ絶望しなかったのか?」。河井には、絶望するしかない状況の只中で、なお一つの「光」が見えていた。キリスト教教育の今日的困難さの前でうなだれがちな我々には、この「光」が本当に見えているのだろうか。

 本書には、この問いを探るための糸口が、各所にちりばめられている。


木村恵子著
河井道の生涯  ― 光に歩んだ人 ―
2002年10月30日・岩波書店、B6判・224ページ・価格2300円+税

< 恵泉女学園中学高等学校校長 >
キリスト教学校教育 2003年3月号6面


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