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一人ひとりを大切に
小玉 敏子

 ネイサン・ブラウンが死去した1886年、バプテスト最初の婦人宣教師の一人、クララ・サンズが突然帰米し、手許においた寄宿少女7名をブラウン未亡人シャーロッテに預けました。ミセス・ブラウンは、山手67番の閉鎖されていた聖書印刷所2階を宿舎兼教室として少女たちを収容します。これが捜真女学校の始まりとされています。翌1887年、共立女学校(現・横浜共立学園)を卒業したエイミー・コーンズ(日本名山田千代)が教師として迎えられ、10月1日に「英和女学校」の看板が掲げられました。

 この「英和女学校」に宣教師として派遣されたのが第二代校長(1890〜1925)のクララ・カンヴァース(1857〜1935)でした。山手34番の新校舎に移転した後、1892年4月に「捜真女学校」という校名を公にしました。教育の究極の目標は、”Truth Seeking” 「(キリストの教えによって)真理を捜し求めること」であるというカンヴァース校長の信念が校名になったのでした。

 ミス・カンヴァースは、ヴァーモント州グラフトンに生れ、師範学校卒業後、故郷の小学校で教鞭をとりました。しかし、自らの教養を高める必要を感じ、1876年、ヴァーモント・アカデミー開設と同時に入学し、さらにスミス・カレッジに進学、卒業後、ヴァーモント州視学を経て、ヴァーモント・アカデミーの教師になります。ところが、父の死を契機に外国伝道を決意し、1889年、ヴァーモント・アカデミーを辞任、翌年一月に来日したのです。

 カンヴァース校長は、当時学生数の少なかったヴァーモント・アカデミーおよびスミス・カレッジで個性尊重の教育を受けた経験から、教育は心と心との触れあいのうちに行われなければならない、教師と生徒とが個人的に触れあい、互いの心を通わせてこそ、真の教育が行えると考えていました。一人ひとりを大切に教育するために、生徒数もなるべく200名にとどめたいと思いました。この考えは、1910年に現在の校地に移転してからも変わらず、歴代の校長に受け継がれました。

 しかしながら、世界的不況やミッションの方針変更などにより、捜真が財政的に行き詰まったときに、ミッションから経済的に独立するために生徒数を増やすことになります。名誉校長カンヴァース先生は、宗教教育の徹底ができないとの理由から、生徒数の増加に賛成されませんでしたが、宗教教育の徹底は他の方法で最善を尽くすことにし、定員増は実施されました。

 神を敬い、人を愛し、「教育は愛である」ことを実践されたカンヴァース先生の〈一人ひとりを大切にする教育方針〉は、現在の捜真にも受け継がれています。今後もこの方針を変えるべきではないと思います。一人ひとりの学力向上のみならず、「キリストによって具現された愛と正義に満たされた人格を形成すること」を目指すことにこそキリスト教学校の存在意義があると信じます。

〈捜真学院院長・教育同盟常任理事〉
キリスト教学校教育 2003年5月号1面


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