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一粒のからし種
国際人教育とヴォーリズ精神
近江兄弟社学園

出  席  者
筈井昌彦 (1964年卒 同窓会長・行政書士・不動産コンサルタント)
尾崎清明 (1969年卒 山階鳥類研究所標識研究室長)
西村 純 (1966年卒 ヴォーリズ記念病院診療放射線技師)
中島 聡 (1986年卒 大阪西野田教会牧師・近江兄弟社中学聖書科講師)
有村治子 (1988年卒 参議院議員)
細野豪志 (1986年卒 衆議院議員)
辻 友子 (近江八幡市教育委員長・近江兄弟社学園英語科講師)
佐野安仁 (近江兄弟社学園長)
池田健夫 (近江兄弟社学園本部長、学校法人専務理事)

神の愛と世界の平和
池田  本日は各方面でご活躍の皆さんに近江兄弟社学園についてお話を伺いたいと思っています。学園は現在創立80周年記念事業として幼稚園園舎を移転新築し、幼稚園と保育園の機能を一元化した新しい教育実践へと足を踏み出しました。高等学校も学年制課程と単位制課程を併せ持ち八百人を超える生徒が学んでいます。2003年は旧幼稚園園舎を中心に「ヴォーリズ建築を描く公募展」を開催します。全国にあるヴォーリズ建築を素材に小学生及び一般の方々の絵画を募集します。さて、佐野先生には4月より再び学園の教育に携わっていただくことになりました。宜しくお願いいたします。

佐野  私は「神の愛と世界の平和」を大切に教育の営みを試みようとした学園に関心を持ち、学園で教師としての厳しい教育を一柳満喜子先生より受けました。特にキリストを模範とした教育と言うことで、キリスト教の倫理について学んだことです。また、生徒一人一人を大切にする新しい教育の試みとして、アメリカのドルトン・プランを取り入れるために、その準備の勉強をしました(これは成果を見ることなく終わった)。在任中は、少人数教育が学園の特色でした。ただし、それに相応しい教育方法は開発されなかったのが残念です。教師としての力不足を痛感しました。私の中では、幼稚園から高校生までの一貫劇「ルターの生涯」を学園祭で行ったこと、この一貫劇は学園にとって素晴らしい実践であったと思います。学園の一貫教育は、今も私にとっては大切な課題です。

筈井  私のその当時のトピック的なことですが、兄弟社高校野球部誕生の1年目に入部したのです。その当時の有名な話ですが、日曜日の午前中の活動はいかなる活動も許されませんでした。高野連に加盟しておりますから「日曜日学園は試合を致しません」では通りません。「試合の前後にお祈りと讃美歌を歌います」ということで特別に満喜子先生からお許しをえて試合に臨んでいました。卒業後、毎年同級会を開いていますが、会の始まりと終わりにお祈りをし、讃美歌を歌っていますのは、そのときの満喜子先生との約束が私たちの心に今なお生きていて、影響を与えているのではないかと思っています。

西村  私は1966年に幼稚園から高等学校までの15年間学んだ学園を卒業しました。
 この間、色々なことを自由にのびのびとさせていただいたと思います。その在学期間、いつも満喜子先生と一緒だったことは誰よりも幸せだったかも知れません。高校時代は、放送部に所属して京都放送の放送コンクールに出場し、はじめて入賞しました。結構自由に生徒の活動はさせてもらっていたと思います。

筈井  私の学生時代は、満喜子先生が講話に教室に見えたり、毎週必ず教育会館で、中学・高校の合同礼拝がありましたので満喜子先生にはほぼ毎日お会いしていました。私は満喜子先生から「姿勢が悪いと考えそのものが不健康になる」と注意を受けたことがあります。体形が前屈みのせいでしょうか未だに姿勢が悪いのですが、注意を受け止めてからは、ハートは真っ直ぐであるようにと努めています。
 先輩のKさんも「人と話をするときは、相手の目を見てしっかり話をするのよ」と指導されたと話していました。

尾崎  私は、西村さんの3年後に同じく15年学んだ学園を卒業しました。学園の教育を通して、国際人であることと、そのために語学が重要であることを学びました。小学生のころから満喜子先生に英語の発音や歌を習ったことは、こうした基礎づくりに役立っています。多くの外国からの先生との交流があり、少なくとも外国人に対する違和感はありませんでした。
 高校時代に恩師が2人なくなられましたが、お二人を通して命や人生などについて多くのことを学びました。自然や生物に関心を持つようになったのは、小学校時代に「観察日記(2〜3年)」をつけるという課題があり、当時興味のあった昆虫や自然の事を書いて、担任の高橋俊子先生の丁寧なコメントを頂いたことが一つのきっかけです。今でも、その数冊の観察日記は手元にあり、時々懐かしく見ています。高校時代の生物の竹内洋先生には、理科班の課外活動などで、八幡山に鳥の観察に一緒に出かけるなど、生物の楽しさに大いに感化を受けました。ちなみに鳥の名前は私が先生でした。

中島  私は八六年卒で、私が在学したのは、特別進学コースがつくられ同時に県外からの入学者を迎える等学園の将来を模索されていた頃だと思います。民家を借りた寮が用意されていました。私はその両方の1期生として入学したわけです。高校3年間はバスケットボール、ロックバンドに熱中、そして寮の生活と大変刺激に満ちたものでした。級友も特進コースに集まったとはいえ勉強面では学校の期待に添えなかったようにおもいます。それでも同窓生と会いますとその多くが「一国一城の主」となって実に多彩な生き方をしております。机を離れて一生懸命になっていたことを先生方が温かく見守っていてくださったことが今の私達の土台となっていると痛感しています。

尾崎  私の学んでいたころの学園にはアオダイショウやマムシがでたり、ツクツクホウシの蝉茸があったり、かなり豊かな自然がありました。満喜子先生が市井の地に学園をつくられたのも自然環境の教育に与える重要性を強くお考えになったからと聞いています。高校で初めて卒業アルバムをつくることになり、写真に興味をもっていた私に全てを任され、先生はじめ同級生一人一人の顔写真撮影から現像焼き付け仕上げまで自由にさせてもらいました。そのアルバムはまだ学園にあるはずです。
 聖歌隊での八川十四代先生と中堀愛作先生の楽しく厳しい指導や、学年の違う混声ハーモニーは今でも懐かしく心に残っています。朝、登校すると必ず掃除をしながら大きな声で出迎えてくださった仁村昭司先生、スケートが抜群に上手な洪炯圭先生、教科書に書き込みをしてはいけないと厳しかった川田慶三先生、同級生のように親しい視線で接してくださった金田(克)先生など、今考えるとこうしたたくさんの先生とのふれあいがさまざまなかたちで、若かった私達に影響していることを感じます。学校とは勿論学業を教わる場所であるのですが、それと同等またそれ以上に精神的・宗教的な人格形成の場所と痛感します。

中島  寮生活では私達は毎日が合宿やキャンプのようで楽しいばかりでした。当時寮監の池田健夫先生、寮母の井狩さんには大変ご苦労かけました。池田先生から「君は何のために大学に行きたいのか、将来本当に何をしたいと願っているのか、作文に書いて提出しなさい」といわれ、初めて真剣に、自分と向き合って、必死にありったけの思いを書いて提出しました。ある時点での点数だけで判断されていたなら、今の私はなかったと思います。しかし先生方が「こいつもいつかは目覚めて、人生を力強く歩んでいくだろう」と将来へ賭けてくださったから関西学院大学で学ぶことが出来、今があります。先生方の信念、つまり「生徒の、人の将来を信じる信念」ということを私は学園生活で学ばせていただきました。
 また、修学旅行が韓国・中国と海外だったこと、それに伴う平和体験学習は大変意義深いものでした。あの当時はまだ珍しがられた事でしたが、長期・短期の留学生もかなりありました。それに3年間毎年10kmマラソン大会がありました。とにかくよく走らされました。おかげで駅伝に出させていただきました。あの練習は忍耐力が付きましたよ。

 
神からのタレント
池田  寮は結果としてうまくいかなかったのですが、あのときは本当に苦労もしましたがみんな個性的で素晴らしい高校生だったと思っていますよ。

有村  私は、88年卒です。「神様は、皆さんそれぞれにタレント(きらりと輝く才能)をお与えになっていてそれをみんなのため、自分のためにしっかりと発揮することを期待されているのですよ」と聖書の時間に教えられたメッセージが、自分自身のタレントを探す大きな原動力となりました。
中学に転校してきたばかりの私は、勉強が出来る人、スポーツで輝く人、音楽が得意な人、料理が好きな人…等、「一芸」に光る友達の才能に圧倒され、正直なところ自分のタレントのなさにがっくりとしていましたが、「自らのタレントを掘り起こす」という主体的な課題・ミッションを与えられてから、色々なことにチャレンジするようになりました。
 子どもたちが輝くタレントは、必ずしも「勉強」ばかりではありません。「あなたが光り輝く分野は、勿論、勉強じゃなくても大丈夫なんだよ」という個性を包み込むような温かい教育姿勢に、今でも感謝しています。

 有村さんは、中学3年(1985年)に、高松宮杯全国英語弁論大会で全国第2位に輝きましたね。それに、高校生クッキング選手権に友達と参加され決勝戦にも出られましたね。

有村  あの時は本当に楽しかったです。TV番組で「我が母校近江兄弟社」を紹介することができ、友達にも、先生にも一緒に喜んでいただきました。

 中学の英語教育についてお話しさせていただく事はたくさんあります。私の関わった英語教育については、やはり伝統の重さをずっしりと感じました。中学校を卒業したら自ら外国の人と臆せず交われるだけのことを教えたいと、私自らが教授法をよく学び、よく研修に出ました。今でこそ近江八幡にも英語を話す外国の人はたくさんいますが、当時は(株)近江兄弟社の国際部に大変お世話になり、おおいに感謝しています。中学における高松宮杯英語弁論大会の取り組みは大切な活動でした。伝統の上に伝統が重なっていきますからね。全国大会では5人が上位入賞をし、その一人が有村さんだったのです。この時指導教師としてご褒美に一緒にアメリカへ行くチャンスを頂きました。その時ミシガン州のグランドラピッズクリスチャンハイスクールと姉妹校提携することが出来たのです。今では、学園に国際交流部が置かれアメリカだけでなく中国・韓国・オーストラリア・ニュージーランドなどから多くの留学生が来てくれています。

 
真の国際人を育てる
池田  学園の教育の歴史から見るとキリスト教教育と国際交流が輝いています。
 創立以来、国際人の教育には戦前戦後の多くの歴史があります。1937年にはヘレンケラー女史が来校し学園生徒に話しかけておられます。1955年には学園初の留学生をアメリカに送っています。今日では姉妹校・教育提携校併せて12校に及んでいます。
 中学の英語教育でも辻先生がお話下さいましたように、1957年以来延べ30人を超える生徒の皆さんが県代表として全国英語弁論大会に出場しています。そのうちでも上位入賞が7回あります。

佐野  近江兄弟社学園は、国際交流の面で素晴らしい歴史があります。国際交流の真髄はお互いの文化と教養とを深く理解し合うことでしょう。メレル先生が来日して日本の文化にとけ込むために、どのような苦労をしたかについて、しっかりと学ぶことです。これからは、生徒は勿論のことですが、教員の国際的共同研究を行うことを検討し実践した方がいいのではないでしょうか。アメリカ・オーストラリア・中国・韓国・ニュージーランドなど多くの国と交流しているようですが、問題は交流の持続性、継続性でしょう。そのために交流のテーマを設定することが大切ですね。

尾崎  私の時代はドイツからの留学生があり、私の家にホームステイしていました。彼らは留学目的を明確に持っていましたし、その後の人生で必ず日本と関わった仕事を国際的に展開しています。

細野  私は学園に学んだことで外国人や英語に苦手意識がない、怖くないと言うのはありがたいことです。議員としての今の活動に必要な資質を身につけたと言えます。

 留学生の受け入れが本格的に組織的になったのが1983年からですね。それ以来確認できるだけで271名、現在では300名を超えているでしょう。それに、日本が海外へ企業進出し始めた頃には帰国生徒の受け入れも他に先駆けて実践していましたね。

池田  ナショナルやIBM等の、企業の海外帰国生徒の受け入れ校として早くから取り組みましたね。今でも帰国生徒はありますよ。

中島  高校では新たにプロミネントクラス・グローバルクラスを、二年次からは英語インテンシブクラスなどの展開がなされるようですが、創立の精神を堅持し、隣人のよりよい将来を考えて実行できるような人材の育成、そして、となり人とはすぐ隣の人のことであり、地球の、反対側の人のことでもあるというとらえ方が出来る様な想像力・判断力に富んだ人格形成を目指す教育を期待します。現在、我が国も隣国の核拡散防止条約撤退、国際テロの問題やイラクを取り巻く国際緊張、ますます国際的な視野を持って生きて行かねばならないですね。特に国際的に平和を守り築いていくと「隣人」いう意識を高めることが不可欠であると思います。

西村  満喜子先生が若いとき米国に留学されており、兄弟社で教育実践をはじめられた原点が、このときの学びと経験に裏付けられてのことでしょうからね。しかもキリスト教の信仰を基礎として「愛と信念を持った知性豊かな国際人」を導き出されたのですから。

中島  日本のキリスト者は総人口の1%に過ぎないと言われますが、キリスト教の理念を基礎とする学校や病院、ホスピスや福祉施設などは、それぞれの領域で1%を遙かに超えています。この事は、この国において、キリスト教は教育、人権、命そのものといった、人にとって根本的に大切な領域において多くの役割を担っていることを表しています。歴史的にも義務教育の重要性や小学校の授業料全廃、未成年者の飲酒喫煙禁止法など幅広い分野でキリスト者の働きがありました。
 イエスの「山上の説教」の中で様々な人、人格、生き方が挙げられ、例えば「柔和な人は地を受け継ぐ、憐れみ深い人は憐れみを受ける、心の清い人は神を見る」という具合にそれぞれの果実というか、結果が期されています。また、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」とあります。これは「平和の実現」という業に対して「神の子」といういわば最高の称号があたえられるともとれますが、私は、神は平和実現の鍵を「親子関係」に結実されたと受け止めています。すなわち、愛してやまない我が子として、親が子を無性に、そして無償に愛おしく思う、その心で互いを、互いの国を、互いの民族を見て、実現するのが平和であると言うことを教えるものであると思います。ヴォーリズ先生が生涯を日本に捧げられたのもまさにこの愛によるものであり、国際人教育という時に最も重んじられねばならないことであると思わされます。

 建学の精神「イエス・キリストを模範とする人間教育」は何ものにも代え難い学園の柱です。創立者の亡き後、この精神の継承に一番苦労してきたのかも知れません。私は、クリスチャンホームに生まれながらこの学園に来たときはクリスチャンではありませんでした。しかし人生の岐路に立ち、満喜子先生に再会し、この学園の教師として導かれたことは恵みであり感謝でありました。学園の教育方針を自分のものにするために、教会に再び通いキリスト教について学び受洗しました。生徒たちに関わるとき、日常の教育活動においても、学園ならではの考え方や取り組み方がはっきり見えてきたのです。この学園が、神の名によって建てられたこと、そしてこれまでもまたこれからも、誰かがどこかで、学園のために祈り、祈られていることを確信しています。就任以来週1度の早朝祈祷会にはずっと出席しています。

 
これからの学園は
池田  皆さんのこれからの目標と学園に期待すること、メレル先生や、満喜子先生のことで締めくくっていただきたいと思います。

筈井  私は、地域活動として遊び、スポーツ、環境学習、地域の歴史等を通して青少年の健全育成活動に永年取り組んでいます。これからもさらに子どもたちにとって住みよいまちづくり活動をしていきたいとおもっています。その活動の中でいつも心の持ち方、心の姿勢を強調できるのは、学園での満喜子先生が日常的な指導を厳しく具体的に私たちに指導していただいたからと思います。今後様々な規制緩和が予想され、教育を巡る環境も相当変わると思われます。その時代にあって、学園は個人を尊重する、行き届いた教育と生徒と教師の人格的なふれあい、国際的感覚と広い視野を持った健全な人格の養成に努めてきた80年の伝統を堅持しつつ、学園の果たすべき使命感を発展させて欲しいです。文化活動やスポーツ活動が活発になって、私たちの頃とは違って目を見張るものがあります。
 1993年夏甲子園に初出場した野球部、初戦敗退したため英語の校歌を大合唱することができませんでした。10年経ちますのでその忘れ物を甲子園に取り戻しに行きたいですね。メレル先生作詞の校歌を大合唱しましょう。

西村  現在、はっきりとした目標はありません。日常の業務が精一杯で余裕がないのかも知れません。ですが、定年まで後五年を数える歳になりましたから、定年後に向けての目標を持とうと、少しずつ夢を描いています。できれば現在の仕事と違った事をしたいと思っています。学園はヴォーリズ先生・満喜子先生の建学の理想を高く掲げて前進して欲しいですね。あと二年するとヴォーリズ先生が八幡に来られて百年になります。私達が、社会で生き抜くには知恵も能力もたくさんいりますし、障害も敵も出ます。人として生きていく上で大切なことは、やはり「愛すること、信じること」だと思います。食うか食われるかの社会であっても、キリスト教教育によって培われた信念は、自分自身を憩わせることができるはずです。これからはそのような教育も大切ではないかと思います。
 今、ヴォーリズ建築が全国で話題になっていますがその面だけでなく先生の播かれた一粒のからし種が事業・人・地域文化として花開いているわけで、教育活動も大いにヴォーリズ精神を土台に全国的に評価される存在としてがんばっていただきたいです。

尾崎  渡り鳥の調査・研究のための東アジア地域のネットワーク作りを目指しています。また、鳥類保護に科学的な研究を活用する事をライフワークと考えています。
 最近先生の建築物から間接的ではありますが、その先見性や偉大さを発見し痛感しています。満喜子先生には「人の目を見て話すこと、姿勢を正しくすること」など多くのことを厳しく教わりました。そうした厳しさが本当に生徒を人間個人として愛していることから出ていたことを、今更ながら強く思わされます。
 私は中学までは一クラス、高校でも二クラスの少人数教育を受けてきたわけですが、そのことでクラスメイトだけでなく先生方とも密に接する事ができました。一人一人の個性が重視されていたように思います。当時週5日制でありいわゆる受験校でもなかったため、クラブ活動などの自由な時間が多かった。こうした校風は何らかの形で継続されることを望みます。学園内は充分な空間的なゆとりをもって、豊かな自然環境も残して欲しいです。もし無くなっていたら創成して下さい。国際交流の伝統は積極的に発展させ、人的交流もさることながら教育実践の交流も積極的に取り入れて輝かしてください。
 学園教育の真髄は「知性豊かな国際人」しかも「愛と信念を持った」にあると思います。

中島  現在の会堂は戦前に建てられたものであり老朽化が激しいので新会堂建築が目下の最大目標です。 牧師をしていますと「日曜日以外は何をなさって」とよく聞かれますが、聖書を学び、祈り、礼拝を司式する事の他にたくさんの事があります。教会の伝道を担う各種の運営はもとよりですが、地域の子どもたちを招く「お話文庫こひつじ&ジョイ・キッズ」をはじめ超教派キリスト教視力障害者友の会の会場教会として機能することなどにも力を入れています。
 卒業から16年を経て昨年より学園の聖書科の教壇に立つことになりました。その機会に生徒たちに将来の目標を聞かせてもらいましたが、その多種多様なこと、豊かな夢を持っていることに驚かされました。一人一人の夢に、隣人を愛する心が添えられつつ大きくふくらみ、実を結ぶことが出来ますように、そこに自分がわずかでも寄与することが出来ますようにということが私の目標の一つにくわえられました。

細野  金がものをいう日本の政治風土を変えること日本の危機的状況を打開し、誰にでもチャンスがある社会をつくることを自分の与えられた舞台で追求していくことです。学園の国際交流に少しでも役立っていけたらと思います。
 幼稚園から十五歳までの人間形成期に学園で学んだことは私の人生の原点でもあります。特に宗教教育を通じて、自らを見つめ直す機会を得たことは貴重であった。人生は「何に向いているのか」を探すと苦しいものですが、「何が好きか」を見つけるものだと考えれば楽しいものです。政治家が周りに存在しない中で、政治で社会貢献をしてみたいと考え、挑戦できたことは学園での経験が大きく影響していると思っています。当時は珍しかった三年保育、学校の週休2日制、ボランティア体験、そして少人数教育は得がたい経験でした。
 近江八幡という商人町の懐の深さ、多様性を許容してきた街の風土を生かして学園では世界に羽ばたく多様な人材を育てて欲しいと願っています。

有村  直接お目にかかったことはもちろんありませんが、満喜子先生・メレル先生のスピリットで教えられたのは[DO=行動する]という生きる上での姿勢です。現在、国会で議席を預からせていただいて、全国の現場を訪れ、考えさせられること、政治に対するお叱りを受けたり、あまりに荒廃する現状に閉塞感を覚え、打ちひしがれたりすることもあります。そんなとき「迷い、悩むときには、思いあぐねて落ち込むことより一つのアクション、行動を起こすことに活路あり!」「孤独を感じるときにこそ、歯を食いしばって笑顔でふんばろう…」と、メレル先生、満喜子先生が魂を奮い立たせて果敢にチャレンジされた姿に思いを馳せ、とても励まされ、第一歩を踏み出す勇気を与えられているような気がします。
 学園に集う人々の個性と尊厳・貢献性を大事にする校風の中で、自らを律し、自ら立ちあがり、強く優しい生き方を、共に進めていきたいと思います。

 メレル先生ご自身は八幡商業学校の先生でしたから、教え子や地元の人から結構親しまれておられました。今でもお年寄りの中には英語をヴォーリズ先生に習ったと言う人がおられます。私の両親はメレル先生のお言葉に従い「クリスチャンホームここにあり」と家庭を開放するようにと教えられ、そのことを実践していたようです。私自身もこの地に生まれ育っていますので、地元の人たちとの交流を大切にしてきています。学園の国際交流は地域でも多くの要請があります。現在は、市の教育委員長として働かせていただいていますので学園で培われてきました力を大いに発揮していきたいです。やはり私学は地域・地元の評価を大切にせねばならないでしょう。

中島  メレル先生、満喜子先生については伝記で知る限りですが、学校・病院を建てて教育、医療の普及に努められ(これだけでも素晴らしいことですが、さらに企業家、建築家であり)、神様から与えられた溢れるばかりの賜物、才能を常に隣人、社会のために用い、捧げられた方であり、理想とする学園のあり方を本当に実践されたお二人を創立者として仰ぐことが出来ることはとても感謝だと思います。

西村  満喜子先生の思い出は語り尽くせません。先生はいつも聖書を読まれ、いつも祈られ、神様第一の信念で歩まれ実践されたと思います。何かにつけて厳しく指導されました。それは私だけでなく、誰にでも区別無く接してくださり、私達生徒一人ひとりに対して心からの思いをぶつけて教育してくださったのだと感謝しています。

佐野  メレル先生のピアノ演奏は、特に記憶にあります。満喜子先生には宇田先生と一緒に英会話の勉強をしたことを思い出します。私にはほとんど効果はなかったようですが。軽井沢での夏期研修会では、満喜子先生の「どどいつ」を聞くことが出来たのは私だけかな。父親がよく歌っていたの覚えられたらしい。7年間であったが色々なことを教えていただいた。何よりも「平和」を大切にする学園が大好きです。皆さんが学んだ学園の「よさ」を大いに生かし、ますます拡充、発展させたいと思います。

池田  どうも有り難うございました。

キリスト教学校教育 2003年6月号2-4面


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