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第73回夏期研究集会
希望への教育は「教育力」に

 本年度の夏期研究集会は7月28日〜30日、御殿場・東山荘で開催された。参加者は37法人より78名であった。

主題講演

共に重荷を担う
―希望への教育―
会長  清重 尚弘
  はじめに
 基調講演という形でかっちりとした枠組みを提供することは私の力に余ります。むしろ私達が心を開いて自由に話し合えるためのディスカッションスターターの役を勤めたいと思います。私達の構成は多様です。クリスチャンもノンクリスチャンもいる。ですから、ここでは神学やキリスト教の話に狭く固まらないように注意したいと思います。共通点は、生徒/学生を預かっている教育者であるという一点ですから、生徒/学生に目を向けるならば、多様性を超えた話し合いの土俵があるはずです。


  発想を変えて「希望」に焦点を
 今年は準備段階で、「重荷」よりもその先にある「希望」に焦点をおこうということが話され、「希望への教育」という副題を掲げました。そこで皆さんに少し発想の転換を提案してみましょう。

 第1に、「重荷」とは。昨年は学校の重荷を問題にしています。確かに、いまキリスト教学校も生き残りを賭けて懸命の努力をしています。しかし、私はこの状況を「重荷」と捉えるよりも、むしろ「チャレンジ」ととらえたいのです。そこにはチャンスもあります。そして、生徒が担っている「重荷」の方に目を向けたいと思います。

 第2に、チャレンジに向う私達に相応しいのは「重荷」よりも「喜び」ではないでしょうか。

 第3に、キリスト教学校の「固有の使命」。こういう場では礼拝の問題などに収斂しがちです。しかし、キリスト教学校の固有の使命は、「公教育」に対するオールターナティブとしての存在意義ではないでしょうか。教育をトータルにとらえ、生徒/学生との関わりにおいて、キリスト教学校のどこがどう他と異なるのかを考えてみましょう。

 第4に、教育のモード。 生徒に向き合う(私とあなた)よりも、並んで歩く(私たち)ことです。これをACCOMPANIMENT(寄り添って歩く)モードと呼んで希望への教育のモードと考えたいと思います。エマオ途上の出来事 (ルカ24)がモデルです。「暗い顔をして」歩いていた弟子達に変化が起こり「心が燃えたではないか」と語り合っています。生徒/学生が日本の教育の現状の混迷の中で「重荷」を負って歩いているならば、私達教師は寄り添って歩く。そのともなる経験の中で、生徒/学生の心が内に燃えるようになる。これが福音を土台とするキリスト教学校固有の使命ではないでしょうか。


  公教育の混迷の中で
 子供達は大きな「重荷」を背負わされています。カリキュラムの面では、“ゆとり教育”と“学力低下”対応策との間で。制度の面では、自由化/規制緩和政策の競争原理貫徹によって。教育思想の面では、教育基本法改定の動きがあり、「愛国心」を評価せよとの声さえあります。”教え子を再び戦場に送るな”という戦後の平和教育の行方は、キリスト教学校の歴史に鑑み重大なチャレンジです。

 かかる矢継ぎ早の「改革」提案による混迷の中で、国民の教育のグランドデザインが見えてこないところに本当の混迷と危機があります。


  結局「教育力」が勝負です
 先日、伏見工業高校ラグビーの山口監督の講演を聴き、「俺はこの子達に何をしてやったか」と気付いたときに始めて矢印が自分の方を向いた、との言葉に感銘を受け、教育者の課題/使命は、この子供に自分が何をしてやれるかという一点にあることを再確認することができました。希望を持ちにくい現状で重荷を負っている子供達に対して、希望に生かされている私達教員職員が、生徒と並んで歩きながら、希望のありかを解き明かしましょう。ここが教育者の真剣勝負です。
 
 親しい企業家のことです。丁稚奉公からたたき上げて30年で年商100億を超える会社を作り上げました。振り返ってこういうのです。創業期にはまず職員二人を組にして新しい町に派遣、戸別訪問で調査、うちの支店を作ってくれると嬉しいと言う人が二千人いたらその町に開業、この方式で九州全域に進出して成功した。ところが最近は時流に乗ってうちも情報会社の調査をもとに開業し始めた、こっちの方がずっと新しく人件費も要らず能率的でよいと思ったからである。しかし、ことごとく失敗した。商売というものは結局のところ、額に汗して働くことだと思う、と言うのです。

 では、学校には何か他の先を行く目新しい戦略、秘策があるのでしょうか。私は学校は、結局は「教育力」が勝負だと思っています。この点でキリスト教学校が公教育に対するオールターナテイブになりうるか否か。教育力を共通の土俵として、学校現場に携わる私達は、クリスチャンであるか否か、新任かベテランか、教員か職員かなどの区別を超えて一つになり得ると思います。そのときに「共に」働く仲間を見い出すことができるならば、それこそが学校にとって希望の在り処です。これからも子供達も親達も、「教育力」を基準としてキリスト教学校を選んでくれるはずです。


  「教育力」回復のために

 そこで最後に私が考える教育力について少し述べてみます。

 (1)うさぎより亀。ゆっくりと個性にあった速度で環境や出合いを味わい喜びつつ進む教育
 (2)業績志向ではなく人生に対する態度(感謝、喜び、思い遣り)を養う教育
 (3)資格志向の専門性訓練よりも全人的人間教育の再生
 (4)特殊な教条や儀礼による宗教教育ではなく「深み」における教育こそキリスト教教育
 (5)教育におけるACCOMPANIMENT 生徒/学生に寄り添って歩きつつ、自分自身が生かされている希望の所在を分かち合う。

 この時代において「希望への教育」を実現するカギは、制度/組織の変革にもまして教育者たる自分自身の成長変化にあると言うのが私の日頃思っていることです。

〈九州ルーテル学院院長・大学長〉
キリスト教学校教育 2003年9月号1面


キリスト教学校教育同盟