ホーム < キリスト教学校教育 < 03年12月号 < 3面

第47回大学部会研究集会
主題 「イスラーム・キリスト教・対話 ―共に重荷を担うために」

講演2
イラク戦争とアメリカの大義
同志社大学神学部長・一神教学際研究センター長
  森 孝一

神学部の将来構想
 同志社大学はこの度、神学研究科を中核とするプログラム「一神教の学際的研究―文明の共存と安全保障の視点から」がCOEに選定された。しかしそれ以前に、神学部・神学研究科は数年前から学部・研究科の将来構想についての検討を行っていた。その基本となったのは、神学部・神学研究科の役割についての確認であった。一つはキリスト教のスペシャリストとしての牧師、教師、カウンセラーなどの養成であり、もう一つは、同志社大学の建学の精神についての教育を担うという学内的な役割である。

 このような従来からの役割に加えて、キリスト教とその背景となっているユダヤ教についての研究だけでなく、もう一つの「兄弟としての宗教」であるイスラームに研究・教育の分野を拡大することが時代の要請であり、キリスト教神学の今日の課題でもあると判断した。

 神学部・神学研究科は今年度から、三名のイスラーム研究者に専任教授として就任していただいた。これは従来のキリスト教神学担当者の定員枠を削減してイスラーム研究者を採用したのではなく、従来の教員定員枠のそとにCOEとの関係で、大学が増員を認めてくれた結果である。また今年度から、神学部・神学研究科にアラビア語を含めて約三〇科目のイスラーム関連科目が設置された。しかしこれも、キリスト教神学の科目数を削減したのではなく、従来のキリスト教神学科目に加えてイスラーム関連科目を設置したものである。ユダヤ教を含めて三つの一神教についての本格的な研究・教育機関となることを目指している。

文明の共存のためのスペシャリスト
 COEプログラム「一神教の学際的研究」の教育目的である「文明の共存のためのスペシャリスト」の養成は、そのまま神学研究科に新たに加えられた教育目的でもある。キリスト教、イスラーム、ユダヤ教についての本格的な知識や教養と、英語、アラビア語、ヘブライ語の運用能力を身につけた人材は、国際機関やNGOをはじめ、さまざまな分野で、共存と共生のための働きを担っていくことになるだろう。

 COEに採択されるかどうかにかかわらず、この神学研究科の将来構想は実現に向けて動き出していた。幸いにも今回採択されたことにより、より積極的にユダヤ・キリスト教文明とイスラーム文明のあいだの「仲介者」としての役割を担うチャンスが与えられた。

 いま一神教文明間の共存にとって必要なことは、共存の基盤を見つけるための、地道な神学的・思想的取り組みであり、もう一つは、相手となる文明についての正確な理解の共有である。COEプログラムの中核拠点として設立された「一神教学際研究センター」は共同研究、国際ワークショップ、三宗教聖職者交流会議などを実施し、その成果をウェブ・ページにおいて、日本語、英語、アラビア語で世界に向けて発信していく計画である。五年後にはその結果として、「一神教学際研究センター」が一神教文明研究の世界的拠点として評価されるようになるとともに、神学研究科から、「文明の共存のためのスペシャリスト」が世界の各地域に巣だっていくことを願っている。

アメリカの大義
 「9・11」とイラク戦争は二つの原理主義(イスラーム原理主義とアメリカ原理主義)のあいだの対立・抗争である。イスラーム世界とアメリカは「政教非分離国家」であるという共通点を持っている。政教非分離は政教分離よりも後進的であるという理解は近代化の論理ではあるが、今日の世界の状況からは乖離している。政教非分離国家とどのように共存していくかが、ヨーロッパ諸国および日本にとって、今後の最重要課題となるだろう。

 「9・11」以降のアメリカの大義は一貫しており揺らいではいない。それは全体主義との戦いであり、全体主義の圧政の中にある人びとの解放のための戦いである。アメリカは第一次世界大戦以来、今回のイラン戦争にいたるまで、敵としての全体主義は変わっても、その大義は一貫している。

 ブッシュ大統領が「9・11」を「文明と自由」への攻撃と理解しているように、アメリカ国民の大半は「9・11」をアメリカ建国の大義に対する攻撃であると理解している。その中身は「独立宣言」に宣言されている啓蒙主義の中心的理念である基本的人権の実現である。このようなアメリカ建国の大義は普遍性を持ったものとして評価されるべきであろう。問題はアメリカが「アメリカ原理主義」ともいうべき自己絶対化に陥っている点にある。

 さまざまな宗教における原理主義の特徴の一つは、「絶対なるもの」(神)と、それを信じる人間の手になるもの(宗教、国家など)を混同し、宗教、宗教理念、国家、国家理念を絶対であるとするところにあるのではないだろうか。ブッシュ大統領がアメリカの大義としての自由を繰り返し語りながら、アメリカを正義と同一視しているのは、その典型的な例と言うべきであろう。

アメリカ原理主義を克服するために
 リンカーン大統領は南北戦争開戦の年、ニュージャージー州議会において演説を行い、アメリカについて “God’s almost chosen people” と表現した。リンカーンもブッシュも同じように武力行使を選択したのだが、ブッシュがそれを正義の業であると理解したのに対して、リンカーンが almost という表現を用いることにより、自己絶対化に陥る手前で踏みとどまったことは注目に値する。アメリカの宗教伝統の中には、自己絶対化の伝統と並んで、このような超越的伝統があることを覚えたい。

 アメリカを変えることができるのはアメリカだけである。アメリカの宗教伝統のなかにある超越的でリベラルな伝統に希望を置きたい。それを支持するために、私たちに何ができるのかを考えていくことが重要であろう。

キリスト教学校教育 2003年12月号3面


キリスト教学校教育同盟