ホーム < キリスト教学校教育 < 04年04月号 < 2面

研修会のまとめ
存在は価値である
矢崎 茂樹
 
 第四十六回小学校代表者研修会(田中司委員長)が二月九日(月)〜十日(火)の一泊二日の日程で新横浜プリンスホテルにて行われた。講師に立教大学のコミュニティ福祉学部の設立に尽力されて現在まで学部長をされてこられた関正勝先生(立教大学教授)をお迎えし、「共に重荷を担う―生命をめぐる新しい時代の倫理観―」という主題で講演をしていただき、大変充実した会を持つことができた。

 開会礼拝は小澤淳一先生(青山学院)のお話で、人と話をするときに、相手の自尊心を大切にするためにどのような言葉を遣ったら良いか、キリストの言葉を実践するということはどういうことかを考える時を持つことができた。

 その後の関先生の講演は最新の生命に関わる問題をわかりやすく実例を交えながらお話くださった。科学技術によって可能になった人工授精、それに伴って生じる選択的中絶、男女の産み分けとかパーフェクトベビーという問題を倫理的な視点から考えさせられる内容で、大変難しい問題を提示してくださった。関先生が私たちにお話くださったいくつかのキーワードはとても貴重で、参加者の私たちにとって大きな力となる言葉だった。穏やかな話し方で参加者の反応を見ながらお話をされる中で私たちはいつしか先生の話に引き込まれ、人間の尊厳とか、人が存在する事の価値だとか、人を愛するということについて、新しい視点から改めて深く考える時間を持つことができた。

「愛するという関係の中では、今までの自分だったら認めない事も認める自分に変わる」とか、キリスト教の信仰の中で、「絶望は希望に追いつかない」という話などは、すぐにでも使いたい言葉であった。人間はただ存在していることが価値であるとおっしゃった関先生のお話は「存在は価値である」というキーワードに集約される。社会的な弱者、重い障害を持っているということで、存在しないもの、あるいは存在しなくてよい者とされてしまっている現実を聞かされて、強い嫌悪感を感じる場面もあった。

健康観とは、自分が老いることや病になることによって五体満足という状態が失われていく現実とつきあっていける態度の強さだという話は、目が開かれた気がした。

 質疑の中で、障がいを持った社会人の知り合いをどうしてあげたら良いかという質問がでた。関先生は、「人間は喪失感を持っている事が不幸だと思う。誰かとつながっているとか、誰かに必要とされていると感じる事が大切」ということだった。「僕らは忙しくてろくに話を聞かないという事もあるかもしれないが、話を聞いてもらう事で何かの判断ができるとか、周りと結びつけられているという関係を作りたい」というお話だった。

 二日目は、各学校の代表者が互いにそれぞれの学校の問題点や、現在取り組んでいる内容などについて忌憚無く出し合うことができた。問題点については、解決が決して易しくないけれど、そういう現実を共有できたという点においては大変有意義な会であった。

各学校が抱えている諸問題については、上に中高がある小学校の場合、小学校と中高との関わりの問題点が出された。中学校にしてみれば、下から来る子どもたちのいわゆる学力が低いということを問題にすることもある。確かに外部から受験してくる生徒にくらべて下から上がっていく子どもたちはテストの得点が低いという現実は共通する問題のようだった。

また、小学校ではいわゆる学力よりもキリスト教を大切にした心の教育を中心にしていても、中学校・高等学校ではそれに加えて成績を良くすることが経営上必要という厳しい現実もあるということだった。成績を重視すると受験者が増える傾向があるという例も出された。世間の期待がキリスト教に基づく教育というより成績とか進学という事に重点が置かれ、いわゆる学力を高めるという事へのニーズがあるためではないかという問題点も指摘された。そのような現実の中で私たちキリスト教主義、キリスト教の信仰に基づく教育を謳う同盟の学校が、今回のような代表者会や協議会において交流を深めながら、共に重荷を担い支え合っていく事が大切であると改めて感じた。

〈立教小学校教諭〉
キリスト教学校教育 2004年4月号2面


キリスト教学校教育同盟