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聖書のことば
清水 光雄
 
「心の目を開いてくださるように。」 (エフェソ1・18)

 ジョン・ウェスレー(一七〇三〜九一)は生涯英国国教会の司祭であった。しかし理性を軽視する熱狂主義者という批判を受け、教会から追放された彼の活動は野外へ移り、馬に跨り距離にして地球を七周以上駆け巡り、貧しい人々と共に生きた。
 十八世紀は理性・科学の時代であった。彼は五百冊近い本を出版した。その中には哲学・科学書は勿論のこと医学書(三八版、フランス訳も)もある。又診療所を開設し、自前の医療器具を用いて貧しい患者を癒した。このように大学の哲学教師でもあった彼は理性を決して軽視する存在ではなかった。

 教会追放の原因は、彼が一七三八年五月二十四日、ある集会で感じた「心が不思議に暖まる」体験を宗教的認識の固有な性格としたからである。彼は青年時代より、心に直接体験される、感覚的確かさの伴う実験的・経験的知識形態を好んだ。問題は、如何にして神の恵み・愛が人間の感覚の対象になりうるのかだ。
彼は「心の目」、つまり、霊的感覚である魂の存在に注目した。通常、身体的感覚である五感を通して自然界の事象が経験的に知られるように、聖霊なる神は魂に直接働きかけ心の目を開くことで、確かさの伴う宗教的認識を人間に与えて下さることを、彼は五月二十四日の出来事で確信した。

 理性的宗教認識形態のみを主張する国教会は、ウェスレーを熱狂主義者と批判したのである。彼は理性と感性、合理性と神秘等、一般に対立・矛盾すると考えられている両者を徹底的に強調し、しかも愛の実践の動機を前者より後者に基礎付け、医療行為を含めた愛の業に自分の生涯を捧げた。

 このウェスレーのように、私たちもある意味で、従来の教室での分析的・論理的左脳(IQ)の偏差教育から一歩飛び出し、心と生活を通して支援を求める人々と具体的に出会う直感的・感性的右脳(EQ)教育とのバランスの取れた総合教育を展開することが今求められているのではないだろうか。

〈静岡英和大学宗教主任〉
キリスト教学校教育 2004年5月号1面


キリスト教学校教育同盟