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第45回中高研究集会
発題要旨-主題をめぐって

尚絅学院中高における情報化推進報告
田嶋 誠

 「コンピュータに管理される」「コンピュータに振り回される」に対して「コンピュータを仕事のよき道具として利用する」という意見の狭間で右往左往した約十年間の情報化への取り組みをまとめさせていただききます。

 情報委員会が発足して三年後の一九九八年当時、一部の人間がコンピュータ関連の仕事を抱えてしまう問題や、目前の新カリキュラムや将来訪れるであろうコンピュータのシステム化を考え、その時期の目標を「コンピュータの教職員一人一台貸与」としました。職員会議の合意を得て三年計画で導入することができました。

 その後の方向性は大きく分けて二つありました。一つは情報の一元化・情報の共有化です。成績情報や保健・進路情報の様々なデータを、皆が共有することの大切さがあると考えました。そして、もう一つが仕事のフィードバックサイクルです。学校は比較的同じ行事を繰り返すことが多いので、情報の共有化を利用し、前年度まで積み上げた財産を有効に活かし、さらにレベルアップしようという考え方に立ちました。

 具体的には、学籍管理・グループウェア(施設予約や電子掲示板)・文書管理システム・ホームページ・ネットワーク学習支援システムの導入をしてきました。

 一方で様々な課題も出てきました。ここでは一つだけ紹介させて頂きます。それは社会的現象でもある情報化の波の中で、私たちがなかなかついていけない事態になったということです。コミュニケーション一つをとっても、従来であれば、直接本人と会うか、または電話やメモで済んだものが、携帯電話を含むメールやホームページの出現により、どのように付き合っていいのか分からなくなったことが挙げられます。生徒に対しても、はじめは携帯電話の使用を受け容れることができず、ただ持ち込みを禁止していた時期もありました。しかし、一方的に学校現場だけが社会の現実に目を背け続けることはできませんでした。携帯電話もコミュニケーションの一つと捉え、その役割やマナーを把握し、主体的にそれぞれのツールを有効に使うことを考える。そのことが大切であると考えました。メールの使い方一つをみても、教員側の中にその考えが浸透してきたように思います。これからも、さらに意識の変革が求め続けることでしょう。

 そんな中、ある先生の発言が極めて印象的でした。「今や教員も消費社会にはまっていないだろうか?ともするとコンビニの陳列棚で売れなかった商品が違う商品に変えられるように、私たちの教育という商品も売れないからといって安易に変えていないだろうか?・・・過去の教育活動では教員一人一人が教師のプロとしてさまざまな方法に磨きをあげ生徒と向かい合っていた(それで良かった)。しかしこれからは、教師が一般消費者と同じ立場になるのではなく、一人一人が自校のプロデュースをしなければいけない」と言う主旨の発言でした。全くその通りだと思いました。情報化により様々な手法が変わる一方、変えてはならないことも考えなければならない。私たちクリスチャンスクールで働くスタッフとして、皆がハード的なネットワークだけでなく、信頼関係というネットワークを組み、自校のプロデュースに一丸となって取り組むことが求められていると感じています。

〈尚絅学院女子中高校情報部主任〉


ルーテル学院(熊本)の例から
現状と今後の課題
大木 保幸

 まず、学校説明(大正十五年、女子だけの学校として、アメリカのルーテル教会の基金により、熊本市に「九州女学院」として創設される。創設者で初代院長はマーサ・B・エカード女史。創立の精神は「愛と奉仕」。信仰と教育を受けた若い女性の育成を目指したなど。)

 次に本校の現況と今後の課題を学習(コースにより様々な状況にあるが、全体的に見ると次のような問題例が見られる。教科書などを持ち帰らないで、ロッカーや机の中に入れたままにしている。予習、復習をしない。始業時、教科書、ノートを開いていない。プリクラを見たり、漫画を読んだりする。最近では教科書を購入しない。いつも寝ている。起こしてもまた寝る。しゃべる。注意しても素直に従わない。提出物を一度も出さないなどの様子が見られるようになってきた。)礼拝(静粛が保ちにくい。講和が始まるとかなり静かになるが、中にはうるさかったり、寝ていたりする者もいる。教師が注意しても同じことを繰り返す。礼拝後に残して特別に注意してもまた同じことを繰り返す。そして毎日、騒然とした入場を繰り返している。)生活(マナーが悪い。ゴミをどこにでも散らす。毎日新しいゴミが散乱している。掃除の時間に掃除をしない生徒が多い。男子は髪をボサボサにし、シャツの裾を出し、鍵をたくさんつけたキーホルダーをぶら下げて歩く。女子は髪を茶色に染め、ミニスカート、化粧、マニキュア、ピアスをする。服装検査の時だけ改める。生徒部が教師に注意を呼びかけるが、根本的な解決にはなっていない。集会時は騒がしく、静かになるまでに時間がかかる。集会中も絶えずおしゃべりをしているものがいる。教師は後ろの方から立ったまま指導に追われる。講話中もたくさんの教師が後ろで立っている。言葉遣いがきちんとできない。敬語、丁寧語が使えない生徒が多い。近年、万引き、窃盗などが目立ってきた。外部では携帯電話が必需品である。出会い系サイトに電話する子どももいる。いろんな意味で金が必要になっている(だから、アルバイトなどで稼ぐ)。キリスト教主義の教育でも子どもたちの良心を目覚めさせられないでいるような気がする。)に分けて説明。考えられる原因として家庭環境(しつけという感覚の変化。掃除も家事手伝いもしない、させない。子どもは自分の部屋を持ち、自分の自由にしたいことができる。家族での対話が少なく、対人関係に不器用な状態を作り出している。

 テレビ、ゲーム機、携帯電話、パソコンなどが子ども一人一人にまで行き渡り、学習時間を減少させ、仮想現実を拡大させる。子どもは慢性的に愛情不足であり、親子ともにそれを意識していない。子どもに対する愛情は、親との多くの触れ合いの中から自然に伝えられるものであるが、同じ家の中に生活しながらあまりにも対話する時間が少ない。本来、親子の間では叱る中にも愛情があるが、愛のないののしりや暴言、暴力が広がっている。愛情を実感できずに育った人間は親としての愛情を子どもに注げない。最近は不景気のために経済的にきびしくなり、家庭内がますます不安定になっているようである。また、離婚の増加も子どもの精神に大きな影響を与えている。)豊かさ(物の有難みが分からない。(学校もその価値を認められていない)労働によって自らが苦労して報酬を得るという感覚の欠如。物を豊富に与えられ続けて育った人間は、いつまでも精神的に自立できない。食品公害(甘さが人格の甘さを生んでいる。ジュース、お菓子などを中心とした食品を多く摂取することにより、忍耐に欠ける性格が生み出されている。すぐにキレル現象に影響を与えている。カップ製品(発布スチロール)やアルミ製品などからくる環境ホルモンが人格を破壊している。インスタント食品、ファストフードからは食のあたたかみ、愛情は得にくい。毎日作る家庭の弁当には遠く及ばないと分析した。 

 最後にわが校の取り組みや今後の課題を述べ、教師に必要なことを説明して締めくくった。

〈ルーテル学院高校教諭〉



情報と学校教育
-現場での体験から-
藤井 竜平

 本研究集会の主題講演でも述べられていたように、現代の若者たちは、消費と情報の氾濫する社会の中で漂流している。そうした「漂流者たち」によって成り立っている学校の教育現場も、止めを知らない消費文化と、膨大な情報の山に翻弄されているといっても過言ではない。

 1.教育活動と進路指導への情報の活用
 本校も他校と同様に情報科ならびに各教科の授業や進路指導においてコンピューターの積極的利用が始まっている。また、コンピューターによる教務システムの一元化が進められている。しかしながら、教師も生徒も、まだ、コンピューターから得られる膨大な情報を十分に効率よく活用できているとはいい難い。特に生徒たちは、情報をコンピューターから引き出す術は大人よりも心得ているようだが、引き出した情報を整理し、取捨選択する能力については、まだまだ未熟である。たくさん情報を得ることによって、逆に自分の問題解決を遅らせている者さえいる。また、メールやチャットでしか他人とコミュニケーションがはかれない者も増えつつあり、不登校生徒など、心に問題を抱える子供たちを受け止める際に避けては通れない要素となっている。

 そのような現状の中で、昨年度高三担任時に生徒の進路指導においての志望校決定や、最近増えてきた大学AO入試対策で、学年や担任によってコンピューターを活用した効果的な情報提供ができたことは「明るい兆し」である。特に、AO入試対策として、生徒に求められているプレゼンテーション能力の向上という面で成果をあげることができた。これは今後の進路指導に新たな可能性を見出すきっかけになるだろう。

2.「ケータイ」をめぐって
 若者の消費・情報文化を最も象徴しているものの一つが「携帯電話」であるということは誰も否めない現実であろう。今回の発題の中でも最も関心を示して頂いたのも、生活指導上、生徒の携帯電話をどう扱うかという問題であった。(因みに本校では、携帯電話の学校での所持と使用を禁止している。これに対して本校とは全く違ったスタンスでこの問題に取り組んでおられる学校や、同じような規則でも、指導が徹底できない学校から、様々な現状が報告された。)発題者は以前高一を担任していた時に、当時発売されて間なしの「カメラ付携帯」でクラスの生徒を撮影して遊んでいた生徒たちが、全く関係のない者までも撮影したことから起ったクラス内での人間関係のトラブルを報告させて頂いた。その際、校則の面での指導とともに、何の許可もなく勝手に人の姿を撮影することが、どういうことなのかを反省させ、新たな気づきに導くため、相手の人格を大切にするという側面や、人権の問題にまでわたって学年スタッフの力を借りて、時間をかけて慎重に指導した。(指導を受けた生徒たちも深く反省し、クラス全体でもこの出来事から多くを学ぶことができた。)

3.結びにかえて
 教師は概して情報に疎い。所詮、情報量の多さでは生徒に負ける。また、いくら学校といえども、情報の到来を拒むことはできないし、情報をコントロールすることも許されない。そうであるならば、我々教師は、生徒たちに情報を主体的に受け止めて、自分の成長のために間違いなく活用する能力をもっといろいろな場面で育てなければならないだろう。

〈プール学院高等学校教諭〉


キリスト教学校教育 2004年5月号3面


キリスト教学校教育同盟