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全身が輝いている ルカ 11:33〜36

開会礼拝説教
小林 孝男

1.同窓生の訪問

 四月初旬、三人の同窓生の訪問を受けた。昨年十二月に『太平洋戦争を生きた少女たち―尚絅卒業生の記録と追想』という冊子を編集・出版された面々である。この冊子を貫いているものは、あの時代を生き抜いた同窓生や旧職員たちの反戦への強烈な思いである。彼女たちは反戦への思いと祈りがこもったこの冊子を図書館に寄贈してくださり、同時に、母校へ檄を飛ばしてくださった。

 「この春、卒業式の『君が代』斉唱の時に、起立をせず、歌わなかった公立の教員が大量に処分を受けた。これは天皇制の復活に他ならないではないか。対岸の火事のように捉え、尚絅(私学)には関係ないからと、いま何も言わないでいていいのか。特にキリスト教学校は、はっきりとこの事態に対しての見解を表明すべきではないか」。

 三人の同窓生たちの体験の重さ、戦中・戦後を生き抜いた人間の歴史の重さ、尚絅で培われた信仰と信念の重さ、そしてそこから生み出される反戦への強烈な決意に身を正される思いであった。その中で今日のみ言葉が示された。

2.全身は輝いているか?

 イエス・キリストは真の光として私たちの元にお出でになった。イエスの教え・イエスの光は、全ての人が仰ぎ見ることができるよう燭台の上に掲げられている。しかし、イエスの光は心の目が澄み、二心をもたない者だけが見るのであり、その光を受ける者たちは全身が輝くのである。

 三人の同窓生たちの言葉は私に自問を促した。「この時代の中で、尚絅はキリスト教学校として全身が輝いているのか?全国各地のキリスト教学校は、そのミッションを担いながら全身が輝いているのか?」。

 少子化が進む社会の中で、各学校とも様々に工夫を凝らし、努力を重ねながら学生・生徒・園児の確保に奮闘している。そのような時代を生き抜かなければならないキリスト教学校だからこそ、「あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。…全身が輝いているのか?」という自問を忘れてはならないのである。

3.幸いな者

 今日のテキストの少し前には、イエスが悪霊を追い出す話が出てくる。悪霊が出て行くと口の利けない人がものを言い始めた。それを目の当たりにした人々の反応は、驚きをもってその出来事を受け入れる者、悪霊の頭の力を借りたのだと批判する者、天からのしるしを要求する者の三通りである。イエスはこれら三者に対してそれぞれ語る。27〜28節は、驚きをもってその出来事を受け入れた人たちに対するイエスの言葉として読むことができる。ここでイエスは「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」と語っている。神の言葉を聞き、それに従うべく歩み続ける、その歩みの中にいるときこそが幸いなのだ。それは「全身が輝いている」と同義であろう。

 全国に点在するキリスト教学校が、イエスの光に照らし出されながら、イエスの教えを聞き、受け入れ、従い、全身が輝く姿で、教育と研究の業に励むものでありたい。そして私たちの主から「幸いな者よ」との祝福をいただきながら、今年度もそれぞれが置かれている具体的な状況の中で、キリスト教学校としての使命を果たすべく、精一杯歩ませていただこう。
    

〈尚絅学院女子中高校長〉
キリスト教学校教育 2004年7月号1面


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