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特別講演
宣教師からみたミッションスクール
〜尚絅の婦人宣教師のミッションとパッション〜
日本バプテスト同盟東北部担当宣教師
ロバータ・L.スティブンス
 
 これからお話しすることは、一部は宣教師として、またキリスト教学校の教師として経験したことであり、一部は『根づいた花』という本を書く過程で経験したことです。

 私は日本におけるキリスト教学校の将来について、いささか悲観的な気持ちを持っています。世俗化の波は、年毎に高くなっています。世俗化がキリスト教学校に対して与えている大きな否定的な影響は二つあります。一つは、非キリスト教的な相対主義です。「あなたが何かを信じているなら、何を信じていようと問題ではない。信仰はみな同じだから」というわけです。キリスト教学校停滞のもう一つの原因は、学校の中でキリスト者が「仕方がない」と言って、何も語らないことにあります。

 過去を検討することによって、今もまだ残っているキリスト教学校としての高い評価に安住する学校になろうとする風潮を変える、洞察と勇気を獲得することができるように、私は希望しています。

 宣教師やキリスト者の教師がさらに熱心に証しをすれば、成果を得られるでしょう。

 これからお話するメリー・D.ジェッシーは、アメリカン・バプテストの宣教師で、尚絅の第二代校長でした。彼女は一九一一年から一九五二年まで、尚絅のために重要な働きをしました。

 ジェッシーは、多くの場合、自分を取り巻いている周囲の状況をとおして神が働いておられるのを見たのだと思います。彼女はどんな問題も周囲の状況も、大きなパズルの一断片であると考えました。形の整えられた姿を彼女が見ることができたのは、ただ振り返ってみた時だけであったということもしばしばでした。だがその時に、彼女はすぐさま「それは神の御手であった」と言いました。

 一九二四年九月アメリカに帰った彼女の一年の休暇は、二年に亘る死闘の時と変わりました。愛する尚絅の娘たちを支援しようとして、敵意だらけのアメリカを旅行しましたが、すべては無駄な骨折りのように感じられました。アジアからの移民に対する明らかな差別は、民間でも公にも法律に支えられて数年間もつづけられました。

 話をするために訪れた教会はほとんど何の反応も示さなかったので、ジェッシーは日本に帰ろうという考えに疑問を持つようになりました。縫い目の裂けかかっている学校のために必要な資金を持ち帰らなければ、自分は必要な者ではなくなると感じました。「神の導きはどこにあるのですか!」と、彼女は絶望して叫びました。
 神の沈黙は、時として、神の導きの一部であります。ジェッシーがもし神の導きがないと感じていなかったら、一年の休暇の後、彼女は日本に帰ってきたことでしょう。尚絅のために最後のお願いをするため、一九二五年十月にインディアナ州を訪ねることもなかったでしょう。そしてそこで、インディアナ・バプテスト教会総会におけるあのように素晴らしい反応に出会うこともなかったでしょう。

 一九二五年十二月末、ジェッシーは命に関わるような手術を受けました。彼女は手術の後、尚絅に帰れないかもしれないので、一九二六年春に川口卯吉博士を校長に任命するように提案しました。

 ある人はこう言いました:「神の計画の中には『もし』なるものは、何一つない」。「もしジェッシーが神からの指図がないと感じなかったら」とか「もし、彼女が日本で病気になっていたら・・」とか、私たちは言うかもしれませんが、そうするのでは、神がどのように働いていてくださったか後で見る目を失ってしまうでしょう。「もし」ではなくて、ジェッシーが神の指図を感じなかったから、彼女が病気になったから(どちらも、パズルの中のギザギザを持った断片です)―インディアナの諸教会は尚絅を支援しつづけたのですし、非常に早い時期に日本人校長をその指導者として持つことができたのです。この最後の点は、非常に重要な意味を持つことになりました。一九四二年に、尚絅以外の学校は大急ぎで日本人を指導者の位置に着けましたが、尚絅はすでにずっとそうした管理態勢を内外に示すことが出来ていたのです。これは、たまたまそうなったというのではありません。それは計画によって、神の計画によっていました。

 一九三一年から一九三六年の間、アメリカン・バプテスト海外伝道協会は世界中にある数百に及ぶ学校を維持することの困難な財政上の危機を感じていました。4つの計画が提案されました。最初は四十年近く経った最初の宣教師館、エラ・O・パトリック・ホームを壊すという提案でした。第二の提案はアメリカの改革派教会が支援している宮城学院と尚絅が合併するという提案でした。第三は尚絅の繁栄している高等科を整理して、学校の出費を削減することでした。学校はこの三つの提案を拒絶しました。そうすることによって尚絅の特徴は保たれ、独自性は維持され、より高度の教育を行うという夢は現実となりました。さらに、神の御手がこの学校の上に置かれていたという事実が明らかになりました。第四の提案は天から光を放ちながら襲いかかる落雷のような提案で、経済的に自立するようにということでした。この財政問題は、同窓生と学校全体の努力によって解決しました。みんなの協力で予定より二年早く一九四〇年にアメリカン・バプテスト海外伝道協会から自立出来ました。神の御手は、またもや、尚絅の上に置かれていたのです。

 ジェッシー宣教師が願ったことは、神を生活の中心とし、神を命と光とすることでありました。特に一九二〇年代の尚絅で、宣教師と日本人教師は確乎たる基盤と明確な価値を確立する唯一の方法は神を中心とする生活であるという考えでは一致していました。そのことによって、リバイバルが起こりました。教師たちは、学生の間に聖霊が注がれる道を拓く指導者として行動しました。YWCAの役員のもとで生徒たちが次から次へとバプテスマを受けました。

 多くの若い人たちが、キリスト教学校に通っているのに、何の価値観も持たず、キリスト教についてほんの僅かのことしか知っていないのは、どうしてでしょうか。日本における唯一の価値観は、右や左を眺めて、ほかの人が何をしているか知った上で、自分の行動を決めることです。価値観は社会に根を持っているか、それとも神に根を持いるかしかありません。どちらに根をおろすか、それが私たちのしなければならない唯一の選択です。聖書の授業やチャペルだけでは生徒が心に感じている空虚さを満たすことはないでしょう。私たちは、どのような希望を学生に与えることができるのでしょうか。良い職業でしょうか。名声でしょうか。幸福な結婚でしょうか。友情でしょうか。幸せな生涯でしょうか。そうではありません。驚くほど膨大な知識と素晴らしく輝く精神、それが何物にも根ざしていないとすれば、いったい何になるでしょうか。深く植えられていなければ、あるいは根がなければ、木は倒れ、花はしおれて枯れていきます。私たちが学生に与えることができる唯一のものは、霊的な土台であり、知識ではなく信仰という土壌に深く浸透する根であります。これが、キリスト教学校で働く私たちに、昔の宣教師たちが遺してくれた贈り物です。キリスト教学校の学生たちに、生きる希望と意味を与えようとする情熱を絶えず持ち続けることを心から願っています。



〈尚絅学院理事〉
キリスト教学校教育 2004年7月号3面


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