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北海道キリスト教人物史に学ぶ
北星学園創立者 サラ・クララ・スミス
栄 忍

北海道ブロック研究集会

 二〇〇三年度北海道ブロック研修会が、去る三月二十二日(月)午前十時から午後二時まで、酪農学園大学研修館を会場に、三法人、七校より三十一名が参加して行われた。

 三上章北星学園大学チャプレンによる開会礼拝では、パウロの「異邦人に信仰と真理を説く教師として任命された」との書簡の言葉から、学校という場に集う多様な背景を持つ人々に分かる言葉で、実際の生活での信頼関係(神との、また人同士の)を、ダイナミックに語ることの必要が説かれた。また福音が備えている型にとらわれない自由さをもって学びと研究を深めて真理をめざすことが、本来的に必要なのでは、と問いかけられた。

 『北海道キリスト教人物史』を継続主題として持たれてきた研究会だが、今年度は、それぞれの学園の原点をあらためて探るという方向で企画され、中川収氏(北海道薬科大学名誉教授)を講師として、「長老派教会婦人宣教師としてのサラ・クララ・スミス」をテーマに北星学園創立者に光を当て、主に札幌に転居する以前の軌跡から考えられることを講演していただいた。

 スミスと同時期に来日した婦人宣教師の七割が教師を前職としていたことを指摘した上で、来日前の五年間を小学校教師として働いていたスミスも、当時のアメリカの教師が抱いていた「自分の学校を持って教える」という理想と、婦人宣教師として働くことのメリットとを重ねたのではないかと推測。来日した際、先輩宣教師の間に公会主義と教派主義の対立があり、加えて受け容れ側の代表格であるヘボンの婦人宣教師への低い評価の中で、スミスについても「きわめて個性が強く、何を言っても自分のやりたいようにする」と記されていたこと、などが紹介され、リウマチの悪化によって札幌、次に函館へ転居する際も、ミッションボードの指示を待たずに決めていたこと、尋常師範学校の英語教師として札幌に移動し、翌年に女学校を開設することも、スミスの決断と実行がまずあって始められ、認可されるまでは自費で行い、ミッションボードは追認するというパターンであったと指摘された。

 配布されたスミスの経歴資料には、一八九〇年、日本から一時帰国の最中にドイツ遊学とあるが、その際、休暇の延長願いを出していることが紹介された。「今しばらく、文明の恩典を楽しみたい」との文面から、一方においては「キリストも自らを満たすことをせず」と自分の使命を鼓舞して説教するスミスの、平穏な安らぎへの渇望を見ることができる、とも指摘された。宣教師間にあった教理や立場の違う人間関係への悩みが、在任中宣教師を教師として採用しなかったことにつながったのではないかと推測する講師は、次期校長としてモンク宣教師を迎えた後は、むしろ、道内各地に日曜学校を開設することに力を注ぎ、それが各地の伝道拠点となっていったと語られた。

 講演は、生々しい人間関係を越えて教育・伝道への熱意が結実していくことに、神の支えを見るものとなった。

 昼食をはさんで、質疑応答を交わした後、参加各校の現況報告によって情報交換。閉会礼拝は、栄忍とわの森三愛高校宗教主任が、預言者エリヤの嘆きに応える神の「イスラエルに七千人を残す」との言葉から、「自分一人しかいない、と思える絶望の状況に示されたこの神の言葉のように、わたしたちの七千人を見出すものでありたい」と勧め、研修会は終了した。



<とわの森三愛高校宗教主任>
キリスト教学校教育 2003年7月号2面


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