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第74回夏期研究集会

 本年度の夏期研究集会は7月26日〜28日、御殿場・東山荘で開催された。参加者は46法人より104名であった。

主題講演

人をはぐくむ基督教学校
―建学の精神を共に担う―
会長  深谷 松男

教育を囲む社会的問題状況

今日、学力競争過激化の中で優越感か劣等感に揺れ、孤独と不安の中にある若者の精神状況を見る。また、ケータイ・ネット依存症。自分で考える力は未熟なままに、他者の痛みを思いやる心は貧困という極端な自己中心性が醸成されていないか。「 なぜ人を殺してはならないか」と反問する若者に無自覚のニヒリズムの広がりを見るのは、行き過ぎか。他方、中教審答申(〇三年三月)につき、文相は「人材・教育大国の実現」を求め、答申は「教育は国際競争を勝ち抜くための未来への先行投資」と述べる。国策のための教育という視点だけでよいのか。キリスト教学校の存在基盤を確認しておきたい。


国の教育法制と私学としてのキリスト教学校   
わが国の教育法制は教育基本法の上に構築されており、さらにその基礎に基本権としての教育を受ける権利(憲二六条)がある。この基本権は思想良心の自由・学問学習の自由に支えられて、どういう教育を受けるかを自分で選択する自由権でもある。つまり、どの学校の教育を受けるかの選択権を含んでいる(世界人権宣言二六‐3、国際人権規約一三‐3)。この選択権に対応して「私学の教育の自由」が成り立つ(同上A一三‐4)。私学とは、国の政策(その時の多数党の政策)から自由に、社会と次世代のための教育の責務を自覚し、独自の教育理念と教育力だけによって立つ学校のことである( なお同上一三‐4但書)。キリスト教学校は、その建学の精神であるキリスト教に基づく教育のゆえに存在する。このことが希薄化する時、その存在意義を失う。

なお、私学、従ってキリスト教学校が宗教教育をすることが禁じられていないことは、教育基本法九条二項の反対解釈により明らかである。学生・生徒を礼拝に出席させ、キリスト教学や聖書科の授業を受けさせることは、学則・校則にキリスト教に基づく教育を行う旨を明記してあれば、それを承諾して入学したのであるから、信教の自由侵害の違法性は阻却され、人権侵害にはならない。もっとも、礼拝や授業で本人の信仰的態度表明を強制することは、内面的精神的自由(憲一九)に直接立ち入ることであって許されない。このような強制はプロテスタントの立場から見ても無価値である。このような認識と教育的配慮をもって、きちんと礼拝出席の指導をしなければならない。


 キリスト教に基づく教育のめざすもの―「人を育む」          
 「人を育む」とは、国策的人材養成という観点からの教育ではなく、一人一人が大切に受け止められるべき存在であるとの確認に立って、愛をもってその人生の基礎作りの手助けをする教育の意である。キリスト教学校は、人はすべて一人一人が神にその存在を許され、愛され、育てられるとの人間観に基づいて、謙虚に忍耐強くキリストの愛に立って人を育む教育を進める。

 聖書は語る。神は、神に応答し、神の意志に従って(神に似せて創造された人間)、すべての被造物を支配・管理するものとして人間を創造され(被造物管理受託者としての人間)(創世記一・26〜27)、それにふさわしく自由を与えたもうた。キリスト教的自己確立の自由である。神と自己とのこの関係は、自己と他者との関係の基であり、自己と他者とを等しく神に愛されている者として、その尊厳性を尊重せよ( 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」 )と呼びかけられている。キリストの愛の神の前に畏敬と良心をもって立つ自由・自律の人格の形成、そして隣人との間に積極的に共生連帯の関係を形成しようとする人格の形成を目指す教育をすることが、神から信託されたキリスト教学校教育である。

このことは、大学教育においては、一方で、神の前に謙虚に他の何物も恐れない自由な主体の形成が専門学芸に関する知的探究の主体的条件の整備となり、他方、「 知的、道徳的及び応用的能力」の展開という大学の目的(学教法五二)に応えるべき教養教育において、被造物管理者としての人間の形成にふさわしく、思考力、批判的分析力、総合的判断力に富み、神と社会に対して責任を負う自律的市民を育成する。

「人を育む」キリスト教学校教育においては、特に礼拝が重要である。礼拝において人間を超える永遠の存在に出会う経験は、孤独と不安、無自覚のニヒリズムの中にいる若者たちにとって大きな意味を持つ。教育は真・善・美を教えることと言われるが、礼拝を通して聖なるものへの畏敬に目覚めさせ、高い志を与える教育こそ、今日重要である。


共に建学の精神を担う
 教育は人にある。教員の力量と熱意が要であるのはもとより、さらに建学の精神及び教育理念の認識と保持において一致していることが不可欠である。それが教員の日常的言動を通して学生・生徒に浸透して、よい校風の学校となる。

 キリスト教学校は、神から信託された教育の使命(ミッション)を自覚する者の教育共同体である(ミッションスクール)。従って、キリスト教学校の組織も協力関係も、この認識に立って運営されることが求められる。学校法人の意志決定機関としての理事会は、学校組織や教育課程の編成、人事及び財務等の基本的事項の審議決定をなすにつき建学の精神を堅持し、教授会・教員会議はその基本的事項の決定を受けて学校の具体的な教育活動において建学の精神を生かす責務を果たすことを通して、共に建学の精神を担うのである。また、各科目教育等の統合された全一体がキリスト教に基づく学校教育となっているべきであるから、キリスト者・非キリスト者を問わず、この共通目的の下にそれぞれの持ち場を支えて協力するとき、教育活動全体が内容豊かなものとなり、学生・生徒に対して生きた感化を及ぼすであろう。


 教育基本法の下に、教育基本法を超えて
キリスト教学校の創立者たちは、その信仰により、ごく自然に国の法制をも超えた地点に立ち、愛の行為として今日のキリスト教学校の基盤を作った。私たちも、教育基本法の下にあってこれを生かしつつ、さらにこれを超えて、キリスト教学校教育を国家の事業である以上に神から信託された業と受け止めて、その務めを果たしたいと願う。



〈宮城学院院長、同盟理事〉
キリスト教学校教育 2004年9月号1面


キリスト教学校教育同盟