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夏期研究集会に参加して

あたえられた視点
渡邊 しのぶ

 日頃職場では「考える」事が二の次になっている私にとって、この夏期研究集会は、人の話をじっくり聞く事、考える事に没頭できる貴重な機会となっている。
 
 主題講演では「建学の精神に学校の組織が一致し協力しているか」「教員の教育に対する志や基本姿勢が一致しているか」「学校礼拝では生徒の関心をキリストの真理へと向かわせる教育的配慮と工夫がなされているか」「私学の存在とは?」「私学は建学の精神によって存在する」等次々と自分に問いかけられているように思え、頭の中が東京にある職員室と御殿場を何度も往復していた。教員である自分や勤めている職場を客観視できる場であり、現実を焙り出される場でもあった。

 今回特筆すべきは、「音楽の夕べ・沢知恵コンサート構想」が実行委員本田氏のご尽力により四年越しで実現した事である。委員会で何度も持ちあがったこの構想は、「予算的に無理ではないか」という大きな壁をなかなか超える事が出来なかったが、今回実現出来た事に、個人的ではあるが改めて感謝したい。

 毎年研究集会に参加して言われるのが「結論はまだ出ない。これからも引き続き話し合いを続けよう」のフレーズである。毎回熱く協議が重ねられるのだが、時間的にも余裕が無くいつも何か物足りない思いのまま終了していた。今年は沢知恵さんのコンサートでその答えのヒントをもらう事が出来た。

 沢さんのトークの中で言われた「キリスト教くさいのは嫌なんです」―この言葉は、現場の生徒達を代表する気持ちに思えた。それは、かつて生徒だった頃抱いていた、自分の気持ちそのものだった。協議の中で何か足りないと思えたのは、教えられる側からの声ではなかったのか。生徒の気持ちをわかったつもりで発言し、話し合いをしていなかったか、という事に気付かされる一言だった。それは、生徒の気持ちに迎合する、というものではない。医者が一律に同じ薬を処方するのではなく、詳しく症状を聞きながら患者それぞれに合った処方箋を書くように、「譲れない部分」と希望を聞き「工夫できる部分」を検討していく必要性を感じた。

 沢さんの一言は、この研究集会が行き詰まりや消化不良で終わらない、新しい道のある事を教えて下さった様で、私にとっては大きなお土産をもらった思いである。


〈女子聖学院中学高等学校教諭〉
キリスト教学校教育 2004年9月号4面


キリスト教学校教育同盟