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第48回事務職員夏期学校

主題講演

「キリスト教学校で共に働く」
講師 速水 優


 本年度の事務職員夏期学校は、7月24日〜26日、御殿場・東山荘で、標記による主題のもと開催された。参加者は39法人から104名であった。



私の信仰と職業観
 私の歩んできた道と私の職業観については、今年の一月号の『文芸春秋』に「この宝を土の器に」という題で短い随筆を掲載しました。この題は聖書のコリントの信徒への手紙二・四章七節の聖句によるものです。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。・・・以下省略」(口語訳)

 私は七人兄弟の下から二番目、男の兄弟の一番下です。一番上の兄が、聖学院の幼稚園のとき、先生から日曜学校(今の教会学校)に行くように奨められ、母がついて行き、大人の礼拝にも導かれ二人はキリスト者になり、家の中には私が生まれたときからキリストの香りが満ちていました。

 私は、終戦の年に召集され、海外にも行かないで無事帰りました。しかし私の家族は一番上の兄が応召して、主計将校となって、中国で雨の中で食糧、飼料を集めることに苦労し、結核になり高熱を出して白衣で帰国しました。高槻町の日赤に入院して、昭和十八年私の見ている前で亡くなりました。その兄が亡くなるとき、ベットから起き上がって、「神様が呼んでおられる。後のことは頼むよ」といって、姉には歌って欲しい讃美歌の番号を言って死んでいきました。この兄の葬儀は、青山学院のチャペルで荘厳に行われたのを今でも覚えています。この兄の信仰を見て、私は信仰の道を考えて行こうと思ったわけです。

 こういうことがあって、終戦の年(一九四五年)十二月のクリスマスに阿佐ヶ谷教会の大村勇牧師から洗礼を受けて、それからずっと阿佐ヶ谷教会で六十年近く、教会の責任役員や会堂建築委員などをさせていただいて今日まで信仰生活を続けています。私は教会に行き、十字架を見上げることによって、神と一対一で対決して、過ぎた一週間を反省し、祈り、新しい一週間の決断をすることができるのです。そういう意味で礼拝に出席するということは、私の総裁時代もそうでしたが、その日その日の生活を支えていく非常に大きな力になってくれたと皆様の前に証することができると思います。

 もう一つ信仰をもつことが、私の職業観と深い関係があります。私は大学を出て五十七年、日銀に三十四年おりましていろいろ外国関係の仕事をし、それから理事を三年あまりやって、民間の企業に出て十年間、総合商社の経営をやりました。その後、経済同友会の代表幹事となって財界活動をやらせてもらいました。そういうことをやって終わったかと思いました時、日銀の総裁として戻ってくるように指示を受けました。大変難しい時代で、自分でやれるかどうか迷ったのですが、いろいろ考えて、神の召し、Calling、神が呼んでおられるのだと信じて受けました。

 Callingということは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本の中にある大事な言葉です。戦後東京大学の大塚久雄先生というクリスチャンの先生が紹介してくださいました。

 私は仕事を与えられたとき、これが神のCallingなのだと、神は自分を用いて仕事をなさろうとして力を与えてくださるのだということを信じて、総裁時代も、国会に出て難しいことを聞かれても、自分がこうだと思ったことを、Yesか、Noかをはっきり言うように努力しました。そのとき「恐れるな、わたしはあなたと共におる」(イザヤ四三・五 口語訳)というみ言葉に励まされました。私は「主共にいます」「主われを愛す」「主すべてを知りたもう」という三つのことを心の中に入れて出て行けば、人を恐れないで、相手の顔を見て言うことができることを何回も体験しました。
 

これからの教育について
 日本の教育はどうあるべきかについて、私の体験から少し話したいと思います。私は旧制の中学校から東京商科大学(現在の一橋大学)に入りました。中学時代は軍国主義の時代でしたし、受験勉強があって、あまり本を読んだり、考えたりすることはできなかったのです。大学の予科は全寮制で、小平の森の中にありました。私の部屋は四人部屋で上級生が室長をしていて、室長が、私たちに、「こういう本を読まないか」、「こういうことはどう思うか」ということを寝食を共にしながら、リードしてくれるのです。初めてそこで本を読むこと、思索すること、討議すること、この三つを教えられました。これが教育の第一歩ではないかと教えられました。そのことがこれからの改革で必要なことではないかと思います。

 もう一つは、個性をどのように伸ばすかということです。これについて私が感心したのは、イギリスの学校です。子どもをロンドンに二回(間にニューヨークが入りますが)連れて行きました。男の子は、パブリックスクールに入りましたが一クラス二十人位のクラスです。校長先生はひとり一人の生徒の性格をよく知っているのです。この人はこちらに、この人はこちらにと個性を伸ばす教育をしています。女の子はロンドンの女子の学校に行きました。娘は歴史とか民俗学が好きで、先生はそういう宿題や読む本も沢山与えてくれるのです。今、息子も娘も自分の好きな道で大学で学者として研究に励んでいます。これはイギリスの学校と先生方に感謝せざるを得ないのです。日本のミッション・スクールは、そういう方向にこれから伸びていってもらいたいと思います。


キリスト教学校で働く
 私はミッション・スクールの経営に協力して、上から横からみていただけで,各学校の事務職員のカラーやどの程度キリスト自身がサーバント・リーダーシップになっておられるか、また教学担当と事務担当とが車の両輪となっているかどうか、など関心をもってみてきたつもりです。

 少なくとも、いままでは公立学校が事務職を低くみるという日本の官僚体制のやり方が、私立学校にも残っているのではないかと懸念します。

 しかし、これからは官立大学も官僚体制を捨てて、法人として構造改革をしようとしているのです。事務職員の仕事には女房役のような仕事が多いのかもしれませんが、これからは外に出ていうべきことをいい、やるべきことをやってゆかねばならないでしょう。

 私立学校にとっては、今後、学校の性格、建学の理念、学風といったものをはっきりさせ、よくいわれるリベラル・アーツというものをつくり上げてゆく必要があると思います。

 そのために必要なことは、事務の方で自校のキリスト教主義を明確に頭に入れ、学生が必ずしも在学中に信仰を身につけなくても、キリストの香り(Something)を充分知って卒業させてやりたいと思います。そうすれば、卒業後、社会なり家庭に入って、身を処することに迷いつめた時には必ず在学中に味わったキリストの香りを想い出し、教会にゆくなり、聖書を読むなり、学校時代に身につけた香りを必ず想い出して対処してゆくでしょう。私はこれまでに、そのような例をいくつも身近に経験しています。

 もう八十年以上昔のことですが、東京女子大学の初代の学長新渡戸稲造先生は、国際連盟の重責を果たすため、日本を去ってスイスに移られた後、二代目の安井てつ校長に第一回生の卒業式に際して、次のようなことをいってきています。

 私も六年半同校の理事長をやっていた時、困るといつも彼のこの言葉を想い出していました。

 『ここは学校にしてはいけませんよ、キリスト教の精神に基づいて、個性を重んじ、世の所謂”unto this last”で神の子とみなし、知識より見識、学問より人格を尊び、人材よりは人物の養成をすることを理念とする。“Service and Sacrifice”これなくして 人としての責務は全うされない。」 

 また別の機会に「人格なくして責任は果たし得ない」とも言っておられます。

 いまこそ、大学の改革、教育の改善が必要と皆が感じはじめている日本の中にあって、各学校の事務職員として責任をもつ皆さまが新しい理想と理念をもって学校を主に近づけ、主のよろこび給う場所にして欲しいと思います。

 いまひとつ、欧米の大学に比べて日本の大学がこれからもっとよくなるためには、卒業生のひとりひとりが母校への愛情を深めることです。また卒業生の団体なりファンドが母校と連携を密にして必要な手助けをしてゆくことなどが大切です。そのためにも事務職が仲にたつことも必要なのではなかろうかと思います。

 私はいつも祈る言葉があります。ラインホルト・ニーバーの「セレニティの祈り」です。

 「神よ変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気(カッレジ)を与えたまえ。かえることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さ(セレニティ)を与えたまえ。そして、変えることのできるものと変えることのできないものとを見分ける、知恵(ウィズダム)とを与えたまえ。」


  
〈聖学院名誉理事長、前日本銀行総裁
キリスト教学校教育 2004年9月号5面


キリスト教学校教育同盟