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第48回事務職員夏期学校
キリスト教入門特別講義

讃美する群れ
川端 純四郎

  いっしょに「讃美歌21」を歌いながら「賛美」を呼び起こす神の言葉に心を開きたいと思います。

マールブルクのペーチュさん
 四十五年前、私はドイツ・マールブルクという町にいました。初めての外国生活で、まだ友だちもできず、毎日勉強に追われていました。その中で知り合ったのがレストランのおばさんのペーチュさんでした。クリスマス・イヴの夜、ペーチュさんの家に招かれました。その夜、私は「心が喜びに満たされた時、その喜びは歌となって口からあふれる」のだと思ったのです。「讃美歌21」- 258,244


ヴィッテンベルクのルター
 神の前に立つ資格を身につけたいと苦闘していたルターが「資格など要らない、そのまままでよい。私のもとに来なさい」と呼ぶ神の声を聴いたのが宗教改革の始まりでした。ルターの心に満ちた喜びが歌となって口からあふれた時「賛美歌」が生まれました。「神」を「共に」賛美するプロテスタント教会の誕生でした。プロテスタント教会とは何か、プロテスタント信仰とは何か、その秘密を解くかぎが「賛美」の中にあるのではないでしょうか。「讃美歌21」-377,178,177,


ライプチヒのバッハ
 ライプチヒ市がバッハをカントール(教会付属学校音楽教師兼教会聖歌隊指揮者)として招いたのは一七二三年の事でした。史上最大の音楽家が小・中学校の教師になり、その生徒たちによる聖歌隊を指揮して毎週の礼拝で合唱をするのです。バッハはこの仕事に全身全霊を傾けました。教会カンタータ二〇〇曲と「ヨハネ」と「マタイ」という二つの「受難曲」がそこから生まれました。当時のドイツはキリスト教は国教でしたから、市民は全員が礼拝に出席します。音楽に理解のない人も大勢いました。人類史上最高の芸術作品である「カンタータ」や「受難曲」を、必ずしも音楽好きばかりとは限らない教会の会衆がどうして理解できたのでしょうか。その秘密は「賛美歌」(コラール)にありました。芸術家としての自分の最高の個性と独創性を、バッハは「賛美歌」を仲立ちとすることによって、教会共同体の共同性と結びつけたのです。「讃美歌」21-313256


現代の私たち
 資本主義社会は私たちを封建的束縛から自由にしてくれました。個性の自由な発達が可能な社会がうまれたのです。しかし、今では、資本主義の発達の極に至って、この「自由な個性」は「バラバラな孤独」に変貌しているのではないでしょうか。その孤独に耐えかねた人々は「自由から逃走」して超能力の教祖に帰依して見たり、「強力な指導者」を待望して見たりします。ファシズムの予兆かも知れません。「自由と個性」を失うことなく「共同性」を実現することが大切なのだと思います。「学校」という共同体と「自由と個性」を統一すること、「社会」が個人の「自由と個性」をそこなうことなく「共同性」を回復すること、それが現代の課題だと思います。ルターやバッハから現代の私たちが学ぶものがそこにあるのではないでしょうか。「賛美する教会」は今も歌いつづけています。「讃美歌21」-385,424,419,43-3,32


   

〈東北学院大学・宮城学院女子大学非常勤講師〉
キリスト教学校教育 2004年9月号6面


キリスト教学校教育同盟