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キリスト教主義学校に思う
宇野 徹

 生徒数が右上がりに増加している時代に、偏差値の高い生徒を入学させ、国公立大学や有名私立大学に、また、大企業にどれほど多くの生徒や学生を入れるかが私学の価値判断の基準となり、殆どの私立学校がそれを必死に追い求めて来たし、少子化が進んでいる今、この傾向が一層加速しているように思います。キリスト教主義の学校においても同じような傾向をたどっているように思います。しかし、最近、キリスト教主義学校は果たしてこれでよいのだろうかという問いかけがなされ、キリスト教主義学校の多くの学校において建学の精神は何なのかという問いかけをするようになって来ています。

 私も昨年の九月に桃山学院の学院長に就任してから学校の建学精神について考えさせられました。現在の世界・社会状況の中でイエス・キリストはキリスト教主義の学校に何を望まれているだろうかという問いを発せざるを得ません。

 私達の桃山学院の創設者はC.F.ワレン師で、英国のChurch Missionary Society(私達はその頭文字を取ってC.M.S.と呼んでいます)から派遣された宣教師であります。このC.M.S.は日本における伝道活動に自治、自給、自主の三原則を基とする方針を持っていたのであります。この三原則による伝道を効果あらしめるためにC.M.S.は教育活動を重視し、各都市の教会に青少年を集めて信仰教育や英語教育の機関を持ち、神学校を設立して日本人伝道者を養成していったのであります。また、各伝道地において公立学校に入学できない子供のために日本語による小学校を設立したのであります。

 C.M.S.の自治、自給、自主という基本精神は、主体的に学び、考え、主体的に決断し、責任を持って行動し、自らの足(力)でもって歩んでいくことにあったのであります。即ち、一人一人の生徒や学生が主体的に学び、考え、主体的に決断し、責任を持って行動し、自らの足でもって自分の人生を歩むことの出来るようにすることが教育の使命であるということになります。その根底には一人一人の人間は異なった人間であり、違いを違いとして互いを大切にし、尊重し合いながら共に歩むという考えがあります。そして、一人一人の生徒や学生が神から自分に与えられた、異なった賜物を掘り下げ、耕し、磨いていくことに教育の大きな使命があるのです。また、公立学校に入学できない子供に教育をしてきたキリスト教伝道団体の使命は現在の日本の社会ではどう受け止めればよいのでしょうか。現在の日本において一般の学校では受け入れを拒絶される生徒とはどのような子供であるのでしょうか。不良とレッテルを張られている子供たち、不登校や引きこもりの子供たちは殆どの学校が受け入れようとしていないのではないでしょうか。このような子供や若者を進んで受け入れることがキリスト教主義学校に与えられた大事な使命なのではないでしょうか。今、北星学園の余市高校が多くの人々に大きな感動を与え、注目されています。それは、一人一人の生徒が掛け替えのない、大事な存在として尊重されているからです。ここに教育の原点があるのではないでしょうか。

〈桃山学院学院長、同盟評議員〉
キリスト教学校教育 2004年10月号1面


キリスト教学校教育同盟