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聖書のことば
相澤 弘典
 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17・20〜21)

 イエスは、「死んだらあの世へいける」とは言わなかった。

 イエスは、「神の国」「天の国」は「あなたがたの間にある」と語った。

 「神の国」は、礼拝堂や教会、修道院などの特別な場所、特別な空間に存在するのではない。人間関係において生じる状態、まさに、「わたしたちの間」にある、あるいは実現する世界だ。

 「あなたがたの間」は、「あなた方の内に」「内側に」と訳せる言葉。実際、口語訳聖書には「あなたがたのただ中に」とあった。

 そこは「わたし」が「わたし」でいられる世界でもある。

 「わたし」がわからない、「わたし」を愛せない、そんな実感を抱いている生徒は多い。「親は自分をこう見ている」「友人は自分をこのように見ている」「学校の先生はこんな風に見ている」と、いつも外側から見た自分のイメージばかり。周囲が見た「わたし」のイメージと、「わたし」自身とのギャップで、苦しんでいる。

 「神の国」は、「神の支配」を表す言葉として説明される。しかしそこは、神がわたしたちに君臨し、服従を求める世界ではない。

 むしろ、わたしたちの間に神はいてくださる。わたしたちの内側にいて、わたしのただ中にいてくださる。

 外側からのイメージで、自分を見失ってしまいそうになるわたしたちの現実。しかし、神はわたしたちのただ中にあって、わたしたちの内側から「わたし」を肯定し、支えてくれるのだ。

わたしたちには、失敗があり、挫折があり、自分自身に対して失望したりあきらめてしまうようなこともある。しかし、神自らがわたしたちのただ中にあって、喜びの時も、悲しみの時も、共にいてくださる。

 「わたし」を内側から肯定し、自分を愛せる時、わたしたちは神の国に生きる者となるのだ。

〈松山城南高校宗教主任〉

〈松山城南高校宗教主任〉
キリスト教学校教育 2004年11月号1面


キリスト教学校教育同盟