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第37回全国中高聖書科研究集会
講演「酪農学園創立者の信仰と教育思想について」
福島 恒雄

1.大いなる邂逅
 この度のテーマは「人をはぐくむキリスト教学校―土にはぐくまれる生徒から学ぶ―」と伺いました。私は酪農学園で育てられた一人として『創立者黒澤酉蔵先生の信仰と教育思想について』―特に土を愛する思想について若干話したいと思います。

 酪農学園は魂に火花を散らすような深い出会い「邂逅」から生まれたと理解しています。黒澤先生は二つの大きな出会いがありました。一つは少年時代に出会った足尾鉱毒事件の田中正造翁、一つは青年時代に酪農の道を歩むようになった宇都宮仙太郎氏との出会いでした。文字通り裸一貫で渡道するのですが、金や地位や名誉では得られない沢山の良い友が与えられるのです。それは何者にも代えられない神からの宝と言っています。生涯を通してその出会いを大切にし、生かした人生でありました。

 現在、中高生に聖書を教えることは至難の業でありましょう。先生方は涙をもって種を蒔かれていると思います。最近の少年事件を見ていて、老人には考えることもできないほど今の子ども達は心が病んでいて、悩んでいることを感じられます。だからこそ聖書の教えが必要であると思います。

 聖書は人の思いを超えて働き、最悪の状況の中でも、伝える者、聴く者の限界を超えて不思議な光を放ち、新しい時代の道を開くものと思います。その例を黒澤少年と聖書との出会いに見るのです。

 黒澤は十七歳のとき(旧制中学時代)田中正造の直訴事件を知り、その宿を訪ねました。『私の履歴書』には…「人生には出会いというものがあって、それがその人間の一生を支配してしまうことがよくある。私もまた青春時代に一つの偉大な人格に出会って私の一生が決まってしまった。九十二歳の今日、しきりに思い出されるのはやはりその偉大な人格のことである。その偉大な人格とは公害問題の先覚者田中正造先生である。」と書いています。(筆者も酪農学園で出会った初代学長樋浦誠先生への敬慕は同じように感じています)

 黒澤少年は田中正造の人格と言葉と行動にひかれて四年間思師として仕えます。そして足尾鉱毒の被災地を訪ねて、地元の青年を糾合し「鉱毒反対青年行動隊」を組織し激しく闘争します。当局からはリーダーとしてマークされ、前橋刑務所に投獄されます。その獄中で婦人矯風会の潮田千勢子女史から聖書が差し入れられ、生涯の支えとなりました。潮田女史も被害者救災運動をしており田中正造から尊敬された一人でした。黒澤はこの時のことを回顧し、「…監獄生活が逆に私の一生の救いをもたらしたことになる…」と書いています。十七歳の時でした。

 田中正造の明治天皇への直訴は農民を救いたい一心からしたことでしたが、明治政府もマスコミも、愚かな奇人として非難しました。この渦中の中で、田中の行動は政治家としての良心から出たことで、責められるべきは苦難の中にいる農民を助けようとしない明治政府にあると激しく非難した人がいた。明治の特異なキリスト教思想家新井奥邃でした。田中正造は新井を巣鴨に訪ね、その学識の深さに驚嘆し、聖書を学ぶようになります。

 黒澤も田中に連れられて四年間新井奥邃から学び、聖書の教える愛の深さについて知るのです。

U北方農業の確立を目指して
 黒澤は田中正造のはからいで京北中学を卒業した時、最愛の母がなくなり、「弟妹をたのむ」という遺言を受けました。人一倍母思いであったので進学をあきらめ、裸一貫で北海道に渡ります。

 紹介された酪農の先駆者、宇都宮仙太郎を訪ね、「牛飼の三徳」の話を聞きます。@牛飼は役人に頭を下げなくてもよい、A牛飼は動物を相手にするので嘘をつかなくてもよい、B生産する牛乳は国民の健康を守る、と教えられ共鳴し、早速、宇都宮牧場の牧夫となって牛飼の技術や酪農を学びます。やがて独立する時、受洗の決意をし、札幌メソジスト教会で洗礼を受けます。

 この札幌教会で知り合った盟友佐藤善七氏と思師宇都宮仙太郎と三人で酪農の振興、北方農業の確立をめざして北海道にデンマーク農業の導入を図るのです。やがて大凶作から立ち上がるために酪農民の手で生産から加工、販売をめざして札幌酪農組合を作り、一方でデンマーク農業の研究を進めます。後に酪農学園の建学精神となる「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神をデンマーク再興の租と言われるグルンドヴィから学ぶのです。札幌酪連は北海道製酪販売会社となり、雪印乳業へと発展してゆきます。裸一貫で渡道し、牛一頭を借りて出発した貧しい一人の酪農家は聖書を懐にして、師や友と共に北海道一大産業をつくったのです。

V.三愛精神と教育思想

 世界に比しても恥じない北海道農業を創造するリーダーを養成するため、黒澤は、一九三三年「酪農義塾」を創立します。寝食を共にしてその教育に情熱を傾け、やがて機農高校、三愛女子高、酪農大学と発展し、現在は六千人からの学生が学ぶ一大学園となりました。

 その建学精神は「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神においています。しかし、戦前に設立した酪農義塾は「農民道五則」を教育の基本としていきました。この農民道五則から三愛精神への転換は敗戦という現実の中で思想的、信仰的苦悶の闘いがあり、祈りの中に聖書を徹底的に読む経験の中で与えられたものでした。神を愛し、人を愛する信仰は獄中で聖書から学んだものであり、土を愛する信仰は思師田中正造との命をかけた公害闘争から血肉となった土の哲学でした。土が亡びれば民は亡ぶと叫んだ田中の言葉は二十一世紀の世界を預言しているかのようです。

 神の前に謙虚な心をもって隣人愛と土の生命を守る学問と教育は酪農学園の中に黒澤先生の幻として生き続けて行くと思います。
 
〈日本基督教団引退教師〉
キリスト教学校教育 2004年11月号2面


キリスト教学校教育同盟