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ブックレビュー
倉松 功著
『私学としてのキリスト教大学-教育の祝福と改革-』
嶋田 順好
2004年8月27日・聖学院大学出版会
B6版・276ページ
 
七〇年代以降、多くのキリスト教大学が世俗化の波に飲み込まれ、建学の精神やキリスト教大学の良き伝統を喪失していった。その弱体化したキリスト教大学を少子化の嵐が直撃している。まさにキリスト教大学は、末曾有の危機に直面していると言ってもよい。

 そのような中で東北学院大学のキャンパス・ミニストリィの実践が、その質と量の充実ぶりにおいて一頭地を抜く、瞠目に値する成果を上げていることはつとに知られている。なぜか。その問いに対する答えが、本書には明瞭に記されている。

 本書は、現在東北学院院長としての重責を担っておられる倉松功氏が、大学学長に就任された一九九五年四月以降、様々な機会に学内外で語り、寄稿された五〇編にわたる論文、説教、講演、エッセーを収めたものである。いずれも短文で読みやすいものだが、内容は深い。そこには日本と世界の歴史的現実を透徹した眼差しで洞察しつつ、私学としてのキリスト教大学の存在の必然性とその本質的意義が、深い信仰と学識に裏打ちされて余すところ無く述べられている。

 著者が見出している現代の歴史的文脈とは、世界大戦が終結し、共産主義的・全体主義的国家が崩壊し、グローバリゼーションが進展する世界であり、そのただなかに、明治維新と敗戦による開国を経て、未だなお開国しきっていない日本が、第三の開国を迫られたたずんでいるという認識である。

 そのような壮大な歴史的展望から、著者が必然的に導出してくる現代日本の課題は、「人間の自由と平等に関わる基本的人権」が確立され、「親の子どもに対する教育の優先権、結社の自由に基づく私学の設立権」などが保障される自由なデモクラシー社会を形成するということであり、その真の担い手を生み出すということにほかならない。

 その課題を大学という文脈で受けとめなおす時、それは筆者が指摘する通り、まずもって教育基本法に記されている「人格の完成」を目指す教養教育の充実となり、また利己的な自由を克服しつつ健全な「グローバリゼーション」に貢献する専門的研究の展開を目指すということになろう。

 本書では、その最重要課題に最もよく取り組みうる存在こそが、私学としてのキリスト教大学であることが、説得力をもって語られている。なぜなら、「人間の尊厳と基本的人権の保障」というグローバルな価値観は、カトリックの悔悛制度、ルターの万人祭司観、ピューリタニズムの倫理思想を通して我々のもとに伝えられた賜物であり、キリスト教大学では「人権」の根拠としての神の似像性と「人間の尊厳」の根拠としての神の愛を、一切の学問的・文化的営みの根源である日々の大学礼拝で告げることができるからである。

 著者は揺るがない。ぶれない。「常に改革される大学」を願いつつ、一筋の心をもって、主のまことの中を歩む。信仰を盾とし、神の言をとり、アニミズム的世界にまどろもうとする現代日本としなやかにしたたかに対決し、対話している。

 「われ、ここに立つ」と言い切ったルターの姿を彷彿とさせられる現代日本の改革者がここにいる。

<青山学院大学宗教主任>
キリスト教学校教育 2004年12月号3面


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