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新年メッセージ
「他者とのかかわりを拓く」
松平 信久
 
 地震被災者の方々の救援ボランティアをと、意気込んで出かけて行った男子学生三人が被災地に着いたところ、ちょうど現地の方々が招かれて温泉に行くところであった。「君達はこの方々についていって下さい」と、現地ボランティアのリーダーの方に言われ、その学生達三人は戸惑いながらも同じバスに乗り込んだ。

 炊き出しとか、倒壊家屋の片付け、土砂の搬出など、それらしい活動を予期し、ハラを決めて出かけてきた筈なのに、温泉への同行とは…。

 入浴の後は宴会。何かをしなければという「使命感」から、オズオズと申し出て宴席での肩揉みに挑戦。

 しかし緊張のあまり手は硬く、揉み方もきつかったのではないだろうか。「学生さんも一杯いこうや」と現地被災者の方から声がかかる。ボランティアに来て酒呑みとは、と、この声に応えるのにも抵抗があったが、何度かの勧めにあって一杯、二杯と杯を重ねる内に緊張も解けて意気投合。
 
 肩揉みも余分な力が抜けて格段の技量の向上があったものとみえ、そうなると席のあちこちから注文の殺到。「一日、死ぬほど肩揉みをして帰ってきました」と、その三人は晴れ晴れとした表情で報告してくれた。

 立教大学にボランティアセンターが設立され、活動を開始してちょうど一年。新潟中越地震の発生は、学生達の気持ちの底に潜んでいる「人のために役立ちたい」という思いへの点火を促した。「こと」の発生とともに直ぐに行動を起こした人。先輩格の学生に縋るようにして現地に赴く人。思いあぐねてやはり腰をあげるまでには至らなかった人、現地に行くことを敢えて思いとどまった人。上にあげた例のように、初体験ながらともかく行動を起こしてみた人。

 学生達の思いや行動の姿は、個々によって差異がある。しかし、それらの違いを超えて、「人への関わり」に気持ちをよせ、行動を起こした学生達に、私は、エールを送りたい。
 
 キリスト教主義学校が進むべき一つの道。私はそれを他者へ関わりを深め広げることであると考える。和解への道を拡げ平和を作り出すための教育といってもよいだろう。「いと小さき者」へ眼差しを向けることともいえる。
 
 しかし、学生達の他者への関心や、ボランティア活動などへの関心のありようは、まだまだ薄い。

 学校や学院として、どのような働きかけをしならがその関心を植え付け、あるいは具体的な動きとして、行動化にまでむすびつけるか。先にあげた三人は、初体験でとまどいつつも、行動を起こし、その結果、人の繋がりの輪を広げることができた。

 このような行為が、キャンパス内にも、キャンパスの外にも、雨後の竹の子のように生まれてきて欲しい。
 
 三人の学生達は「また来いよ」と言われたその声にどう応えるか、その策を思案中のようである。


〈立教学院院長〉
キリスト教学校教育 2005年1月号1面


キリスト教学校教育同盟