ホーム < キリスト教学校教育 < 05年1月号 < 2面

第47回学校代表者協議会
主題 「キリスト教学校と経営」

基 調 講 演
鈴木 典比古
 
 1. 経営とは何か―二種類の定義―
 まず「経営」については、その定義は以下の二つがある。

 第一の定義は、「経営は産出物の価値から投入物の価値をひいた結果、残りを生じさせる行為である」というものである。これは製造企業を考えれば明瞭で、例えば百万円の価値をもつ品物(産出物)を作るときに諸費用(投入物)が八十万円掛かったとすれば、二十万円(これを利益と称する)が手元に残る。経営とは詰まるところ、この残りの量を生じさせる行為で、経営では結果が全てであってその過程はどうでも良い、という、いわゆる功利主義(the utilitarianism)の考えに帰結する。

 これに対して、第二の定義は、経営ではその過程が大事である、という過程重視の考え方である。経営にはいわゆる人・物・カネ(これらを投入物という)が必要である。たとえば組織に働く人間は機械や部品ではない。従って、その人権や健康や成長や生き甲斐を考えなければならない。製品の販売においても不当表示や不当利益があってはならない。

 すなわち、経営に関する第二の考え方では、「経営の全過程において良き過程が貫徹されなければならない」と言う原則が重視される。この立場は「良き経営」とでも言うべき倫理主義(the deontology)の考えである。すなわち「学校の経営」―しかも「キリスト教学校の経営」―と言う場合、その経営は当然ながら第二番目の考えに立っている。

2.教育財という考え方

 学校は、幼少青年期にある人間の成長に資する為の長期にわたる教育に携る。人間の成長と言う場合、それは個人としての人間の成長と言う意味もあるし、集団としての人間の成長と言う意味もある。後者の場合は、幼少青年期にあるグループや「世代」の知・情・意の全体的向上を目的にする制度的・組織的営為を意味する。近代国家成立後の教育はグループや世代を対象にした制度的・組織的営為を意味する事が多い。

 そしてこの考えが敷衍した結果、今日、制度的・組織的営為としての教育が「産出」する人間集団を「教育財」と呼称することが受け入れられるようになった。教育活動を「教育財」産出活動と置き換えると、その活動は比喩的に企業活動と比較することが可能になる。ここでは、企業の財の生産活動と、学校の「教育財」生産活動を以下のように比喩的に比較してみよう(図1)。

3.教育財生産の工程・品質管理のための三つの小道具セット
 教育と言う営為を企業の生産活動になぞらえる事には十分慎重でなければならないが、教育を「教育財」の生産工程であると考えると、入学試験は原料の吟味・購入と類似であり、一年生は加工の始まったばかりの粗い素材、二年生はアセンブリーラインで組立作業中の加工仕掛品、三年生は半完成品、卒業予定の四年生は出荷を控えた完成品、卒業生は市場出回り品、ということになる。
 
 さて、このアセンブリーライン工程現場で直接製造に関与するのは教員と学生の両者である。教員と学生の関係は原則的には以下のような契約的関係にある。

 教職員は製品設計・製造を担当し、アセンブリーラインを自主管理することを任されている。学生は、原材料(新入生)・加工仕掛け品(二、三年生)・半完成品(四年生―求職中)・完成品(卒業・就職)の過程を経る。学生と大学は前者が授業料(加工賃)を払い、後者が教育(製品加工)を施す契約を結ぶ。卒業時(加工終了時)には一定の学力・知力・人間力(完成品の品質とマーケットバリュー)が身に付いている。
 
 このアセンブリーライン各段階ではきめ細かな工程管理と品質管理が必要になる。これが「良き経営the deontology」を保証するのである。これは日本企業製品の高い品質を保証するQC(the quality control)運動の考え方と原則的には同じである。教育財生産における高い品質保証のためには、そのアセンブリーライン現場で以下の三つの小道具がワンセットとして適切に使われる事が大切である。すなわち、

@シラバス―教員が学生に提供する授業サービスの内容・期待する達成水準・進行速度・評価の基準などを明示した教育計画表。

A試験―毎時間毎の小テスト、中間テスト、最終テストなどの総合。試験によって、教員は学生の学習達成度をチェック。

B授業評価―授業料を払って教育サービスを受ける受益者たる学生が、サービス提供者の教員のサービス内容・水準、教員が契約した達成可能水準と実際に学生が達成した水準の差についての評価。

4.キリスト教学校と経営―教育と礼拝―
 「キリスト教学校と経営」と言うタイトルも、解釈し直してみると、それは「キリスト教学校として、どのような教育財を産出しようとしているのか」という課題に解釈し直せる。

 キリスト教学校も学校の一種であるから、その経営においてはthe deontology経営がなされなければならない。否、キリスト教学校に於いてはこの側面が特に強く意識されなければならない。なぜなら、キリスト教学校において輩出しようとする教育財は、神の意思と自分の生きる喜びと成長を重ね合わせる事が出来る人的資源・人的資本であるからである。
 
 このような教育財を輩出するキリスト教学校のアセンブリーラインには、実は他の学校のアセンブリーラインには無い、もう一つの根本的な仕掛けが備わっている。それは「礼拝」である。礼拝‘Service’は、すなわち「神と人とに奉仕する」行為そのものである。図2で示されるように、この礼拝がアセンブリーラインの始めから終わりまでを通じてしっかりと組み込まれている事が「キリスト教学校の経営」なのである。



図1
 教育組織 vs. 企業組織
*理念・目標→社是・社訓・定款
*教育施設・図書館→社屋・工場・事務室
*理事会→株主(経営首脳)
*学長→社長
*教職員→製造担当責任者・製品設計、製造工程の責任を任された専門職・熟練者
*教育課程→生産計画・生産工程・販売計
*研究所・FDプログラム→新製品開発部門・従業員訓練プログラム
*入学試験→原材料の購入と材質の検査
*講義・授業・実習→アセンブリーライン部品組立て・製品加工
*卒業と就職→完成の市場搬入と販売
*授業料→加工料
*寄付金→無利子の銀行借入れ、無満期
*自己点検→トータル・クオリティ・コントロール(TQC)運動
*外部機関による認証評価→JIS、ISO、WTO等による品質保証



図2






〈国際基督教大学学長〉
キリスト教学校教育 2005年1月号2面


キリスト教学校教育同盟