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責任ある自己のつとめ

山内 一郎

 今、私たちは日本の学校史、とりわけ私立の教育・研究機関にとって一つのエポックを画するような転機に際会しています。国立大学独立法人化のスタート、中等教育機関も含めた第三者評価の義務づけ、「私立学校法」の改正、規制緩和に伴う大学設置会社の認可、さらに中教審の「わが国高等教育の将来像」に関する審議概要の公表、現時の「教育基本法」をめぐる論議など、何れもクリスチャンスクールの将来に逆挑戦(カウンター・チャレンジ)を迫るものです。
 私は最近リクルート社のインタビューを受けた際、激変する競争環境への対応を誤りかねない私立学校を恣意的に三類型に分けてみました。
@学生、生徒の募集に関してあまり不安のないいわゆる伝統校。しかし裏側から見るとやがて「慢性型」の症状に陥り、このままでは安楽死を待つ他はない。
A周囲の状況変化に敏感に反応し、何とか他校に追いつき先手をとろうとする「焦燥型」。この路線を突っ走るとあるいは憤死を遂げることになりかねない。
B建学の理念を声高に強調する「観念型」。そのこと自体正しくても根本姿勢が後ろ向きであればついに凍死を招くことになる。
 然らば、私が所属する関西学院はと問われると、正直言ってこれら三つの危険要因をすべて内包していることを認めざるを得ません。
 教育同盟傘下の一〇三学校法人は、キリスト教主義を「建学の精神」とする教育共同体です。それゆえ、何よりも全人的教養(リベラル・アーツ)を基礎とする学生・生徒のための教育改革、すなわちこのグローバル時代をリードする新しい「知」のパラダイムを構築し、その担い手たる若い世代の豊かな「人格」形成を一層充実するために打って一丸となり共働しなくてはなりません。ここで関西学院創立者W・R・ランバスの主著『キリストに従う道-ミッションの動態』から一節を引かせて頂きます。
「人間は大抵の場合、河川の屈曲した部分にぶつかるまでは、退屈な流れに身をまかせ、生命の危険やこぎ手としての自分の任務について無頓着のままやり過ごす。が、突如急流のなかに巻き込まれ、川底の盛り上がった隆起が航行を妨げるにおよんで驚き、行動を開始する。目前に危険な暗礁が立ちはだかる。が、その先には美しく輝く展望がひらかれている。こぎ手は、難所をきり抜けるための格闘の姿勢、強い責任感へと目覚め、渾身の力をふりしぼってオールをにぎる。こうして彼の小舟は勢いを得、一気に岸へと直進する。いまやこぎ手は、責任ある自己のつとめを取り戻し、力と使命の自覚を回復するのである」
私たちはみな持ち場を異にしますが、それぞれ奉職する学校の帆船「○○丸」の無くてはならぬこぎ手です。たとえ逆風が吹き荒れ、暗礁が立ちはだかっても、危機を乗り越え一筋の航跡を拓くために、互いが「責任ある自己のつとめ」を果たすべきであります。誰も他人事という態度は許されません。「原点回帰」をバネに「創造的改革」を希望と勇気をもって押し進めなくてはなりません。


関西学院理事長、同盟理事長
キリスト教学校教育 2005年4月号1面


キリスト教学校教育同盟