ホーム < キリスト教学校教育 < 05年04月号 < 2面

第四十七回小学校代表者研修会  
主題
講演 「人をはぐくむキリスト教学校
  
 -根っこで支える人間をめざいして-
深田未来生
 

 インド洋での津波の悲劇には声もでないほどの衝撃を受けましたが、CNNの報道の中でニューヨークとボストンの小学校の子供たちがこの悲劇をどう受け止めようとしているかが取り上げられました。子供たちはすでにテレビで状況を見ていましたが、教師は生徒たちとインド洋を中心とした地域の地図を見ながら学習し、津波の原因や現象を、さらに自分がそのような状況に直面したらどうするだろうかを語り合っていました。生徒の中から「何か出来ないだろうか」との発言があり、翌日から貯金箱を持ち寄ったり、家でクッキーを焼いてきて学校で売ったりして、数日の間に七〇〇〇ドルが集まったとのことでした。

小学生たちは社会を反映します。私の住んでいる地域の小学生たちが登校する場面にしばしば出会うのですが、歩道を占拠して反対側から人が来ても気がつきもしない場合がしばしばあります。他者は眼中にないのです。これは大人の世界によく見られる現象です。

 私の受けた小学校教育

 私の小学校時代は不幸な戦争のさなかでした。学童疎開があり、飢えの体験がありました。しかし、生活を共有しながらすごした数年間は不思議な連帯感を産み出し、今も続いています。そして自由学園初等部で強調された自治自立の教育は生活そのものを「現場」とし、学校が一つの共同体であるという羽仁吉一・もと子の教育思想を実現しようとするものでした。責任者の佐藤端彦のカリスマ性もあって、子供たちはそれなりにお互いを同志、同学、同働(ろう)の友として受け入れていました。私の子供は京都の市立小学校に通いましたが、それなりに楽しく有益な教育体験だったようです。それでもやはり画一的色彩が強いものでしたし、人格の育成という面では、特徴はありませんでした。自分が受けた初等教育と比較して、何か制度に支配された教育といった印象が強いものでした。

今の時代と制度

 私たちの社会をまとめているのは制度です。制度はしばしば一人歩きします。根底にある目的や思想から離れて制度だけが枠組みを崩さず、ひたすら自己保存を強化します。このような傾向をインスティテューショナリズム(institutionalism)といいます。制度が目的や思想から遊離して存在するとしばしば有害な存在となります。ですから制度は定期的に再吟味、再評価されなければならないのです。 教育は価値観の形成を重要な目的の一つとして持っています。それは思想、哲学、宗教といったもの抜きでは達成できないことです。そして教育「制度」もこの要素を無視しては成り立たないのです。制度の問題はものごとが固定する点にあります。出来上がってしまうのです。羽仁もと子の教育思想のユニークさの中には私が言う「しつつの論理」があります。動的なものを大切にし、ものごとを絶対化、固定化しないことです。目的や思想にそった制度を維持するためには制度を「流動的」に捉えることが大切ではないかと思うのです。

これからの時代を生きる子供たち

 義務教育が問われています。カリキュラムを教科で埋め尽くす教育は変わりつつあります。自分で考える子供の成長が話題になりますが、社会の大人たちが本当に自分でものごとを考えているか考えることが先でしょう。現代社会に生きる私たちは、しばしば受動的な生き方をしています。個性の持ち主が個の確立に苦しむ時代です。その個がどのようにして自分を発見し、知性に伴う豊かな感性を持てるようになるのかが教育の内容に問われるのです。子供にとっても情報の入手は簡単でそれは学校教育の場に限られてはいません。その情報をどう受け止め、分類し、評価し、自分との関係、社会(他者)との関係の中で選択するのか。人間としての総合的対応が必要になってきます。情報の選択は個人単位で行われても、その選択が他者との関連においてなされる必要があります。

お互いを支えあい、共に成熟するために
 
 自由学園時代の先輩の宮嶋真一郎さんは共働学舎を設立し、強い者も弱者も一緒に力を合わせて生きてゆくことを目指しておられます。宮嶋さんは共働舎の思想を「おみこし担ぎ」と呼びます。
 「強くても弱くても一緒に担ぐ。疲れても手を離して座り込まない。よろめいても棒を離さない。全体が弱い方へ寄ってゆく。バランスが崩れそうになると掛け声を大きくしてみんなで建て直す。後ろに下がってくる時もある。右に揺れ、左に揺れつつ、それでも目的地に着くまでは絶対に下に下ろさないで、みんなで担ぎとおす。一人の号令者がいるわけではない。一緒に担ぐ者をけなしたり責めたりもしない。励ましあって掛け声をかけるだけである」
 宮嶋さんの描く子供たちの姿には「勝ち組」も「負け組」もありません。生きる現実の中で、根っこで支えあっている人間たちの姿です。これが出来る人間こそ成熟への道のりを歩む存在です。私たちは子供たちとどのようにこの道のりを歩むのか、それを教育の現場で考えながら多くを試みたいのです。


                                      

(同志社大学名誉教授〉
キリスト教学校教育 2005年4月号2面


キリスト教学校教育同盟