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愛の形見としての遺愛学院の建物

増田 宣泰
 国の文化審議会は平成十六(二〇〇四)年十月十五日に遺愛学院(旧遺愛女学校)本館を、明治後期学校建築の指標となる遺構として重要であるとし、建築関係文書四点と併せ国の重要文化財として指定するよう文部科学大臣に答申し、同年十二月十日に指定された。本館は明治四十一年一月に完成し、以来太平洋戦争の一時期軍に接収されたのを除けば、一日も欠かさず女子教育のために使われてきた。本館の設計者は永らく不明であったが、平成十三年十月に本館正面玄関脇の応接間物入を開けたところ、腐朽し落ちている床の上から本館建築に係る仕様書・契約書・設計料領収書などが発見された。これにより設計者は米国人ミッション・アーキテクチャーであり、かつて立教学校校長を務めたJ・M・ガーディナーであることが確認された。文化財関係者の話によると明治期の学校建造物が今も変わらず現役で使用されいるのは全国的に見ても稀有な存在らしい。
 遺愛学院のキャンパスは函館の五稜郭にほど近い市街地にありながら緑に包まれた静かな環境の中にあり、本館に渡り廊下で繋がる「遺愛学院講堂」(昭和十年築)は米国人ヴォーリズの設計であり、平成十四年六月に国の登録有形文化財として登録されている。また、同キャンパスにある「旧遺愛女学校宣教師館」(明治四十一年築)は平成十三年六月に国の重要文化財に指定されている。元町地区にある「遺愛幼稚園」(大正二年築)も伝統的建造物群を形成する建造物として函館市により指定されており、学院全体として明治後期から昭和初期の学校建造物が良く保存されている。

 キャンパスには非常に多くの同窓生が訪れ、時に卒業して六十〜七十年を経た同窓生が子や孫を伴い当時とさして変わらない母校を喜んでくれる。なぜ遺愛学院の校舎が一世紀近くも変わらず生徒たちに使われてきたのか。理由を考えてみるとその最大のものは、今から九十八年前の本館および宣教師館建設に際して全米の特に米国東部のメソジスト教会から多額の献金が寄せられたことであると考えられる。関係書類によるとフィラデルフィア支部、ニューヨーク支部、シンシナティ支部など十万円を超える献金が寄せられている。歴代の宣教師および学校関係者は現在に至るまで感謝を持って献金で建てられた校舎を使っており、現在でも年齢を問わず同窓生や教職員が古い建物に誇りを持っている。
 特に近年、中学生・高校生も学院の誇りとして古い校舎を想う傾向が強くなってきたように思われる。高校二、三年生になると本館で授業を受けたいと考える生徒が増加している。毎年七月末に行っている旧宣教師館の一般公開に際してもボランティアとして多くの高校生が説明役をかって出てくれている。明治七年にM・C・ハリス夫妻により蒔かれた愛の種は、愛を遺(のこ)すという思いを込め命名された遺愛学院に結実し、明治・大正・昭和初期に建設された建物は愛の形見として関係者の誇りとなって次世代へも引き継がれようとしている。
 遺愛学院の意思として、今後も旧宣教師館・本館・講堂・遺愛幼稚園の建物を維持管理していくつもりである。むしろ朽ち果てるまで生徒が廊下を走り回り、毎朝の礼拝を守り、本来建てられた目的のままで今後も利用していきたい。
(遺愛学院事務長
キリスト教学校教育 2004年4月号4面


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