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第46回中高研究集会
発題要旨-主題をめぐって

高校生は予想以上に働きます!
−生徒の可能性を広げる活動-
大中 隆

 発題するにあたり、@日々の教育実践は、建学の理念の具現化であること、A建学の理念を生徒とともに担う(生徒に建学の理念を伝えたい)、B自分の使命を果たすこと(使命に気付くこと)は素晴らしい、の三点を基盤としました。

発題の要旨については、以下の通りです。

1.建学の理念について

 「三愛精神」@神を愛す―聖書のことばに耳を傾け、神から与えられた使命を果たす、A人を愛す―自分と同じように使命を果たそうとしている隣人を応援する、B土を愛す―農業を通して、環境を学び、地球全体のことを考える。

「健土健民」@健土―酪農(農業)を実践し、健康な土づくりをする、A健民―健土から与えられた健康食によって、心身の健康が得られる。

2.生徒の活動から

 第二回国連軍縮札幌会議(二〇〇四年七月二十六日〜二十九日)に、会議運営ボランティア募集の呼びかけに北海道内各地から六十九名の高校生が応え、参加しました(本校からは七名)。業務内容は、@会場案内・受付(会議傍聴、プレス関係)、A会議の記録補助、B国連切手展、原爆・戦争被災展、国連ジュニア・ワークショップの受付、C会議参加者休憩時のコーヒーサービスの四分野です。
 軍縮会議の運営そのものに関わるボランティアは、高校生のみでした。これほど高校生パワーが発揮できたイベントはじめてではないでしょうか。まず、ボランティアの仕事は主催者側の担当の方が一人いるぐらいで、仕事内容について説明して頂き、あとは数人の高校生ですべて執り行っていました。
 国連ジュニアプログラムでは、高校生がいなければ子供達と主催者側との繋がりが難しかったように思えます。高校生が、主催者の指示を受けながら、子供達と密接な接触を持って初めてプログラムが上手く運んでいた様子です。
 高校生によるコーヒーサービスは、会議参加者達から驚きでした。同時に、国連関係者(日本側)にとっては、自慢だったのではないでしょうか。それ以上に、軍縮会議の閉会式でのスピーチで、高校生達のボランティアについて言及されていたことが一番の高い評価でありましょう。

 主催者側から「ここまで高校生が(こんなに一生懸命仕事が)できるのか」と予想を超えた働きに多大な評価を受けました。チャンスが活かされると、大きな成果につながることを実感しました。
 参加した本校生徒の感想は、以下の通りです。@自分たちの新たな可能性を見出すことができた、A国際交流を通じて、地球上には多くの民族が住み、それぞれ固有の宗教・文化があり、生活が営まれていることを自覚し、また出会いの大切さを知った。身近な隣人から世界の隣人に意識を広げ、共に生きる意味を深く理解することが必要だと思った。
 なお、この活動は、学校礼拝等校内外でプレゼンテーションによる報告を実施しました。

3.まとめ

 学校は、常に地域(行政・NGO・NPOなど)にアンテナを張り、高校生に活動のチャンスを提供できるように働きかけることで、高校生の実践の場を広げられるものと考えます。そうすることで、高校生は我々の予想を超える働きをしてくれます。



とわの森三愛高等学校教諭


香蘭の教育
英国国教会による本校の創立の理念
田村 浩一

発題で述べたことに加え、分団で補足したことも書き添えておくこととする。

 香蘭女学校は一八八六年に英国から訪れたビカステス主教により創立された日本聖公会の学校である。初代校長今井寿道は、沼田藩の医師の息子として生まれ、若年の時、英国教会の福音伝播協会の宣教師ショウに弟子入りする。そしてビカステスの創設した香蘭女学校初代校長として着任する。若干二十四歳の時である。

 本校の創設当初の教育を支えたのは英国宣教師たちであるが、伝統的に日本女性が持っていた徳性、すなわち例えば温和さ・礼儀正しさ・思いやりなどは、伝統と秩序を重んじる英国の宣教師たちの目から見たら恐らく特殊なものとは見えなかったに違いない。従って香蘭の教育はその初期から、日本の伝統文化を大切にし、それをキリスト教の教えによってより高めてゆくことを志向していた。

 東京にある聖公会の学校として唯一英国の流れにある本校の建学の精神を私どもが考える場合、まずこのことを再認識する必要がある。この春、英国館(ビカステス記念館)と茶室(芝蘭庵)の二つの小さな校舎が完成するが、二つの異なる様式の建物が自然に隣り合って不思議でないあり方に、本校の建学の精神が象徴されていると言ってよい。

 毎朝の礼拝やさまざまな宗教的行事・すべての学年での聖書の授業などに加え、小笠原流礼法や茶道の授業を積極的に置いているのも、この建学の精神からである。

 さて、この研究集会の主題に「建学の精神を共に担う」とある。「共に」とは、生徒と教師間でもあり、また教師同士でもあり、また他の学校の先生方との間をも指しているのであろう。今回の発題はその三つめの機会としてであろうが、初めの二つはいかになされることが必要なのだろうか。

 例えば本校では百三年前からチャリティー・バザーを行っている。この行事を担っているのは、全生徒・全教職員のほか、父母の会・校友会であり、三者一体になって、学校創設間もない頃から続くバザーの心を共有する契機としている。

 また日常的な小さなことを少し挙げてみると、例えば教員の机が原則として教員室にしかないために、教員同士も生徒と教員も同じ場で種々の状況を共有できること。中高生全員が毎朝必ず礼拝堂に集まり、教職員も共に全員で礼拝をまもること。クラスの生徒を担任が抱え込まず、学年は勿論、全教職員が一人一人の生徒に関わること。前述のような校舎建築・音楽・演劇をはじめ全ての分野にわたり、「本物」を求める心を皆で共有することを教職員が常に相互確認し、生徒に提示していること、など。

 二年前に校長が替わり、ドラスティックな変化を経験している最中であるが、新校長のさまざまな発案によって私ども教職員は今まで気づかずにいた建学の精神を再認識させられた。新校長の手を借りずにそれができなかった自分たちの不明は恥じ入るばかりであるが、某雑誌で「お嬢さん系」と分類された本校は、お嬢さんという表現が良いかは分からないが、知性と教養と品性を併せ持つ凛とした女性を、世の中の流れに敢えて逆らって育てあげてゆく道を選び取ってゆくことが、創立当初の女性宣教師たちが持っていた建学の精神に適うことだと、教職員が共にそれを担う方向へ歩み出しつつある現況である。


香蘭女学校中学校高等学校広報室長



教育改革の内実化への試み
-異文化体験の中から
笹森 勝之助

二〇〇四年四月、母校である鎮西学院高等学校の学校長に就任した。ビジネス分野出身なので、突然異文化の世界へ放りこまれたようで、戸惑いの毎日を過ごしてきた。素人であることを逆手にとり、「基本に立ち返る」ことを旗印として一々の案件を見直しながら奮闘を続け、今日に至っている。

 企業風土と学校風土とを模式的に対比すれば以下のように要約される。片や「日々リストラ」であることに対して、他方は「例年通り」の世界である。企業風土では、日々構造改革(restructuring=リストラ)を必要とするが、学校風土では変えないことをよしとする前例踏襲原理が優先する。前者では、トップが権威をもってリーダシップを発揮しヒエラルヒー型組織を統率してゆく必要があるが、後者はすぐれてコンセンサス社会であり、有形無形のコンセンサス圧力が働き、フラット型組織の長としてのトップの裁量範囲は見かけに比べて意外に狭い。

 それぞれの文化、風土にそれぞれの良し悪しがあり、どちらがどうということでもない。しかし、教育改革を目指すとき、従来の組織風土のままでは改革を実現しがたいことは明らかである。

教育改革をスローガンに終わらせず、実現してゆくためには、まず足元から固めてゆかなければならない。すなわち建学の精神に立ち返り、それを具現化してゆかなければならない。建学精神の具現化あるいはその浸透に妙策はない。地道に反復的に継続的にアピールし続けるしかない。建学の物語は、口をすっぱくして生徒の耳にあるいは教師の耳にたこができるほどの執拗なアピールが必要であろうし、これを意図した年間活動プログラムを設定しなければならない。

 少子化と三位一体改革という激変した私学経営環境のもとでは、財政改革は最重要課題である。教育と財政とは別とよくいわれるが、これは呑気すぎるというしかない。財政改革の目標を現場に下ろしたとき、これは業務改革として具体化してゆかれなければならない。基本に立ち返り一々の業務のhowwhyとを確かめながら再構築してゆかなければならない。一見遠回りとみえるこの作業を積み重ねることによってこそ、教育改革への道が開かれると考える。また、意識改革もなされてゆくと考える。

 右手にバイブル(建学精神の堅持)、左手にパソコン(経営マインド)を持ち、これらに支えられて、現場からの教育改革の内実化に向けてベストをつくしてゆきたい。



鎮西学院高等学校学校長


キリスト教学校教育 2005年5月号3面


キリスト教学校教育同盟