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礼拝説教

人 づ く り 
(マタイ 13・18〜23)


榎本 栄次

 キリスト教学校とはなんでしょうか。私は「子どもを育てるのは神様である」と言うことを、学校経営の中心に据えている学校のことだと思っています。子どもを育てるのは親でも教師でもない、国家でもなければスポンサーでもない。神様が子どもを育ててくださる。このことを建て前ではなく、学校の柱にそれを据えていることです。教育は神の人づくりの作業に参与する聖なる務めだと思います。まさに教育は人づくりです。

 人は人でありながら、人になる動物だと言われます。機械ではなく心を持った人になるのです。今の日本の教育は人づくりから離れて機械のような人格を持たない妖怪をつくり出しています。そのような中で、神の似姿としての人づくりであるキリスト教教育の課題は計り知れないものがあります。

 主イエスは、弟子たちを宣教に遣わすに当たり、種まきのたとえを話されました。道端に蒔かれた種や、石ころだらけの所に蒔かれた種、また茨の中に蒔かれた種などは、それぞれ成長を妨げられて良い実を結ぶことができません。しかし良い地に落ちた種は、百倍、六十倍、三十倍の実を結びます。

 さて、この良い地とはどんな土地でしょうか。それは石もない草もない、種を蒔くとすくすく育つところでしょうか。そのような土地はありません。良く肥えた土地は放っておいたら草や茨が生い茂ります。良い土地というのはよく耕され、石が除かれ、毎日のように草や茨が除かれている土地でしょう。

 人はどこで心を育てるのでしょうか。何かいやなことや問題にぶつかり、それをどう解決するかという苦悩の中で育つのだと思います。何も問題がなく、スイスイ速く曲がらずに進むところには心は育ちません。神様の御手はそこに働くのです。

 敬和学園高等学校の校長をしていたある年の入学試験の前日、私は受験願書を見ながらとても暗い気持ちになりました。それは年々問題を抱えた子どもの数が増えてくるからです。その夜は寝付かれなくて、夜中に起きてこのような祈りをしました。

 (前略) 神様 どうしてですか 私たちが真面目に取り組めば取り組むほど 課題をかかえた子が増えるのは なんの問題もない 優秀な子が来て欲しいです 私たちには重荷すぎます どうすればいいのですか この子たちの前で たじろいでしまいます 主が言われる なんの問題もない学校がいい学校か 重い課題を必死になってかかえている学校が悪い学校か おまえたちの学校は誰が建てたのか おまえたちの学校は誰のための学校か おまえたちの名誉のための学校か おまえたちの生活のための学校か (中略) 神よ、今、私たちに任せられたこの子たちを 神の選ばれた子として受け入れさせてください この子たちと共にあなたの御国を望みます 私たちの自己満足のための学校ではなく 今の日本に必要な学校にならせてください なくてはならない学校にしてください そのために私たちを用いてください(後略)

 今の学校が、「こんな子は要らない」とか「生き残り策」等という言葉に終始しているようでは、神の似姿をつくり出す園にはなれないでしょう。主の御言葉で耕される学園こそが求められているのです。

〈日本基督教団今治教会牧師〉
キリスト教学校教育 2005年9月号1面


キリスト教学校教育同盟