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夏期研究集会に参加して

赦 し
中村 弘之

 最後の全体会で、恵泉女学園の安積先生が発言された。「今の子供たちは明るすぎる。素直すぎる。一方心の中に深い闇を宿している。それを見つめる沈黙を避けている」。また、「大人たちは愛を基本としてではなく、怖れ(不安)を基本に子供に向かっている。このことは、子供を表面上のよい子にするが、心は閉ざさせてしまう」。これらの言葉が心に残った。

 礼拝、主題講演、分団を通してキリスト教学校の「理念と実践」を考えてきた中で、私は光の部分ばかりに目を向けていたと気づかされた。(お話や発表の内容が偏っていたという意味ではなく)イエスは明るい方向に皆を導いたのではなく、闇を照らしたのだった。

分団では、各校の献身的な取り組みが「実践」として報告されたが、それに対して「なにもキリスト教学校でなくてもしていることだ」という意見が出た。もっともだと思った。パネルディスカッションでも、「クリスチャン、ノンクリスチャンという線引きをしない方がよい」という指摘があった。これももっともだと思った。キリスト教学校という冠さえ、下手をすると線引きになりかねない。

それなら私に何が出来るのか。「愛の教育」という絶対的な命題を現代に落とし込んで具体化すると「平和教育」といえるのではないだろうか。捜真小学校の取り組みは大変参考になった。同室の聖ステパノ学園の小川先生は「『赦す』ということがキリスト教学校に出来ることではないか」とおっしゃっていた。

宗教は、戦争と結びついてきた過去がある一方平和に導く力も有しているはずだ。子供たちと、また自分自身と「対話」をし、深いところで「赦す」ことが出来ますように、そう祈ろうと思った。


〈自由学園初等部部長〉
キリスト教学校教育 2005年10月号3面


キリスト教学校教育同盟