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第49回事務職員夏期学校に参加して

「空 間
加藤久仁明

「我が校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、(中略)、文学者になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢には決してならぬこと。これ予の切に望み、ひとえに願うところなり」

これは同志社の創立者、新島襄が残した言葉であり、私が同志社に残った大きな理由の一つです。さてしかし、新島の思想とともに同志社を生んだ「キリスト教」には無知…それが夏期学校へ参加した理由です。

大学全入時代と呼ばれて久しく、各教育機関が特色を放つことに汲汲とする昨今、私も現実的な業務に埋没する一人。その折、夏期学校で再認識したのは、機関と言うより器官と呼ぶべき大学の意義です。大学の名を掲げる以上は智育充実のための体制強化、私立である以上は経営戦略が重要課題であることは事実です。一方、学生にとっての大学は単なる通過点ではありません。人生の二十分の一を生きるかけがえのない時であり、出会う人々と影響を与えあい、様々なものを消化・吸収し、ケミストリーを生み出す空間です。そのためには、現実的な制度等は勿論、単なる器でなく、色と温度と空気を持つ有機的な空間が必要ではないでしょうか。そして、その空間を形成し得るものが、キリスト教主義に立つからこそ可能な徳育・思想であり、私学だけが持つ建学の精神、各大学に受け継がれる伝統だと考えます。門から辿り着く到着点は各大学で異なっても、歩くその道はキリスト教主義という同じ礎です。だからこそ、同じ礎を持つ大学同士で争うのではなく、共存・共栄し、根幹を共有しながら大学により異なる多彩な空間と到着点を、受験生を始めとする社会に提供することが重要ではないでしょうか。自己の未来を想像し、数ある中から選んだ一つの門を誇りに思ってもらえるよう、職員という役割を負った一人の人間として何ができるのか考え続けたいと思います。


〈同志社大学情報メディア課〉
キリスト教学校教育 2005年10月号5面


キリスト教学校教育同盟