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キリスト教学校と経営

星野 彰男
 キリスト教学校史を振り返ってみて一つ明らかなことは、その学校史が時代の流れに大きく左右されてきたことである。そのことは今後のあり方を展望する場合にも当てはまるから、何よりもこれからの時代の流れを的確に押さえておくことが求められる。

今の世界では、とくに市場経済のあり方が問われている。かつてケインズ経済学(一九三六年)は「自由放任の終焉」を唱え、「市場の失敗」を強調した。ところが、前世紀末からケインズ経済学が行き詰まったと言われている。そこには、いくつかの教訓が示されている。

第一に、「自由放任」説が当時のバブル化を抑制すべき時にそれをしなかったために、その反作用としての世界大恐慌(一九二九年)を招いてしまった。第二に、自由放任説を退けたケインズ派経済学は、デフレ・スパイラル(急降下)のような危機的状況に対処すべき不況対策を、わずかな不況時にも乱用してしまった。

この経験から学んだことは、政府の市場への介入(景気調整策)は、バブル化やデフレ・スパイラルのような極端なケースには有効だが、通常はできるだけ市場の自由な成行き(「見えざる手」)に任せた方がよいということである。このような見方が昨今の世界の常識となり、大きな潮流となっている。

一私学の経営も、このような状況を無視しては成り立たない。私学がどんなに立派な将来計画のビジョンを描いても、その潮流に抗すれば、それは無為に帰する。ビジョンを描くに際しては、まず私たちの足元をしっかりと見つめ、国内外の情勢とその中に置かれた教育界の状況を冷徹に見極めることが先決である。その意味で、私たちが本来のミッションを果たすために為すべきこと、為しうることは限られている。

経済界の展望には明るさを期待できようが、少子化に制約された教育界の展望はそうではない。そこから帰結される答えは自ずから明らかである。すなわち、ビジョン倒れに陥ることなく、本来のミッションを着実に遂行することである。そのための教育力を整え、涵養すること、それを各持場で具体化すること、それらに持てる能力と資源を集中させることが、私たちにとっての最も枢要なビジョンに他なるまい。

その中で、キリスト教教育界にとっては明るい展望がまったく無い訳ではあるまい。すなわち、「官から民へ」とか「小さな政府」という世論の動きはその一例である。このような改革の理念型は十六〜十七世紀西欧の宗教改革にあるというM・ヴェーバーの代表作が想起される。今年はその公刊百周年に当たるが、彼はその著作で、「プロテスタンティズムの倫理」が近代合理的な経営と労働のシステムを生成させる起動力となったことを解明した。つまり、神の信仰の純化がそれに背反するあらゆる非合理な偶像崇拝、特権・独占、政経癒着、「魔術の園」等々を解体させる最強の破壊力となったことを論証していた。その意図せざる結果は、はるか今日に及んでいると言えよう。その意味では、私たちは類まれな転換期に直面しているようだ。

〈関東学院常務理事、同盟常任理事〉
キリスト教学校教育 2005年11月号1面


キリスト教学校教育同盟