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第2回女子校長会
この時代になぜ女子校なのか
春名 康範

 九月三日、第二回女子校校長会が青学会館で開かれました。前回一月六日に開かれた第一回女子校校長会では二十校二十六名の参加でしたが、今回は二十二校二十六名の参加でした。

 全国的に少子化の影響もあって女子校が共学校に変わりつつある中で、女子校の生き残りをかけて対策を練らなければならないのではないかとスタートした会ですが、今回は平安女学院にこの春から校長として就任された長野雅弘先生に「キリスト教精神に基づいた女子教育への特化」という題で講演をいただきました。

 先生は、名古屋の一宮女子高校での経験を書いた『子どもの可能性を伸ばす学校、見逃す学校』(総合法令出版)という本を出版しておられます。そこで先生は、勉強のできない生徒も本当はできるようになりたいという気持ちを持っていることを見抜いて、特別授業をして一人一人に「わかる喜び」を経験させたところ、どの子もどの子もぐんぐん成績が伸びて大学進学実績を飛躍的に伸ばすことができました。するとそれまでは学校案内に中学を訪問しても名刺を受け取ってもらえなかったり、会ってもくれなかった学校から、沢山の受験生が与えられるようになり、廃校の運命にあった学校を建て直すことができたという実績をお持ちです。

 先生は、キリスト者ではありません。平安女学院は、キリスト者条項を撤廃してこの先生を招聘されました。大丈夫なのかなーと、感じた人もおられたと思います。しかし、先生は、キリスト教学校なのに生徒も先生も礼拝に対して気持ちが入っていない現実に触れて、「ここは、キリスト教の学校だからキリスト教のことを大事にしなければいけない」と叱って、みんなの態度を改めさせたそうです。キリスト教徒の先生が同じ言葉を言ったら、強制的だと感じる言葉もキリスト教徒でない先生が言うと、「一緒にしっかりやろうや」と言っているように聞こえて、効果的なのかもしれません。先生の就任で、学校の雰囲気は見違えるように変わってきたそうです。

 京都でも四十二の私立学校のうち女子校は十になったそうです。しかし、そのことを逆手にとって女子校で連合を組んで「女子校フェスティバル」を開いて学校説明会を盛大に開いたそうです。女子校であることの意味、有利さ、可能性を前面に打ち出して広く人々に知っていただく努力をしているということでした。お話を聞きながら、各地区でも「キリスト教学校フェア」を開くとか、キリスト教学校である特性を前面に出して宣伝することができると思いました。

 文部科学省は、全国一斉学力テストを復活させて、学校のランク付けをして競争によって教育内容を高めようと計画しています。すでに東京では実施されていて、二十三区の中でどの区が学力が低いか公表され、二十位の葛飾区はこの夏休みを短縮して一週間早く授業を開始しました。ゆとり教育とはなんだったのかと思うような、逆行とさえ感じる動きがあります。

しかし、私たちはキリスト教学校の建学の精神に固く立って一人一人の生徒が神様から個性的な能力や可能性、使命を与えられて生まれてきたことを伝えるとともに、それを実現するためにいろんなことにチャレンジする気持ちになるように導き、生きる喜びや、学ぶ喜び、他者に役立つ喜びを経験させて、本来与えられている力を発揮できるように助ける責任があります。

「競争」主義による教育ではなく、「共生」という考えに立つ教育、あるいは「恵み」に応えて育つ教育をしっかり展開して私たちの使命を果たしたいと思うと共に、女子校の個性を特化して構築していかなければなりません。

 なぜなら、百三十年ほど前に日本に女子校を開設しなければならないと考えた設立者たちが見た女性の立場は、この日本で女子校がもはや必要でないと感じるほど変わってはいないからです。社会のハンドルはまだ多くの場合男性が握っています。命をはぐくむ性として生きる女性たちが持つ感性や可能性をもっと社会の中で生かさなければ、男性たちも幸せになれません。

共学によって男子生徒が女生徒に学び、女生徒が男子生徒に学ぶということも否定できません。しかし、まだジェンダーについての固定的な考えのある現代の日本社会では、共学になることで女生徒が自分の中にある可能性を引っ込めてしまうこともあります。

青春のある時期、女生徒は女生徒だけで学ぶことで自分の中の可能性にしっかりと向き合うことができるという面が今はあります。女子校の持つ可能性を前面に出して、意識しながら女子校教育に励んでゆきたいと改めて考えさせられた会議でした。

〈神戸女学院中高部部長〉
キリスト教学校教育 2005年11月号2面


キリスト教学校教育同盟