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どのように、何を聴くのか
第44回カウンセリング研修会
関西地区
水口 裕美
 日時=八月十六〜二十日
 会場=長野県美麻村
      民宿やまじゅう

合宿であることの意味

八月。四泊五日。参加しない・できない理由を作ることは容易であるが、勇気を持って業務調整を行い、一度は参加していただきたい。この研修会には教師役割や家族役割を脱ぎ、一個人であってよい環境が用意されている。講師の先生までもが、である。

毎年講師もメンバーも入れ替わり、合宿の雰囲気も内容も変化する。講義はきっかけであり、その手法を通して各個人が今、必要としている「気づき」を得ることができる。しかもカウンセリング技術だけでなく、自然の恵みを味わい、温泉に身をゆだね、周囲を散策し、年齢や立場を超えて昼に夜に語らう幸せも堪能できる。参加メンバー一人一人が合宿をつくりあげてゆける柔軟さが四十四回も継続できる証となっている。

三木潤子先生(奈良内観研究所所長)による

「こころの人間ドッグ」

畳に座布団を敷いて十校十七名が円陣を組むことから始まった。「内観」とは「お世話になったこと」「お世話して返したこと」「ご迷惑をかけたこと」の三点に関してだけ、事実のみ思い出す作業であると講義をうける。まず母。生後から小学三年生までの記憶をたどる。十五分間。縁側で緑豊かな光景をながめる人、ごろりと横になる人、机に向かう人。静寂が身を包む。時間になると三木先生が「次は小学六年生までについてお調べください」と一言だけ発する。各自、再び自己に向き合う。中学、高校、大学時代まで行い、さらに対象者を父、配偶者に変えるよう指示があり、根気強く行われた。

十二時間のサイレントタイム

 二日目夜、三木先生より「明朝九時まで一言も話さないように」と指示がでる。社会人以降の内観作業等、課題を行うためである。必要時はジェスチャー・筆談・アイコンタクトを使い、自己を見つめる作業は続いた。

内観の共有

 忘れかけていた過去、事実と認識が違っていたことに向き合い、抵抗感・苦痛を乗り越えるためには、自らの気づきが必要であり、気づくことで安らぎと開放、感謝の気持ちを実感できる。その成果を一人一人が発表するごとに、各自体験が想起され、次から次へと気づきの自己開示がなされた。まさに内観することがもつ力を実感した瞬間であった。

集中内観と日常内観

 集中内観の基本は七日間だが、状態によっては三日間でも効果を体感でき、内観の対象を「職場のひと・生徒・顔も名前も知らない人・自分が成功したこと・エネルギー資源」などに工夫することや、健康な生徒に使用して健康度を上げるなど、学校現場への応用が紹介された。しかし、気づきを得たときの感動と感謝の気持ちは「感情」であるため、持続しない。気づきを得るために気負わず日常的に振り返りの時を持つ工夫も提言された。

学校現場における「建設的な生き方」の手法とは

 森田療法の「あるがままの世界を受け入れ、行動すること」と内観療法の「事実を具体的に捉え、周囲の人や自然、世界に支えられていることに気づくこと」の手法を基に開発されたものである。

 感情はコントロールしてはいけない、できないものであり、コントロールできることは行動である。自分の今の感情を知った上で、感情に沿った行動をするのではなく、目的に沿った行動を起こすことが解決につながる。「その気になるのを待たずにとりあえず動く」「感情を外部の事実にシフトさせる」例が挙げられた。教育現場では決断を迫られる場面が多い。生徒自身、教員自身が決断する際の考え方のひとつとして紹介された。

三名のチューターによる 
贅沢なフォローアップ

 三木先生による全体プログラムの終了後は、谷綛保先生(関西学院・臨床心理士)、中上純先生(清教学園・臨床心理士)、上野和久先生(市立和歌山商業高等学校・教頭・臨床心理士)の三氏によって、さらに内観の理解を深めたり、個人的に持ってきた課題を解消したり、事例によって学校システム構築を考えたり、明日にでもHRで使える教材(十二歳からのエゴグラム)・教職員のストレス疾患への基礎知識が提供されたりとグループに分かれて適切な導きとアドバイスがきめ細かに行われた。

自身の学び

小児看護師を演ずることに慣れた私にとって、四月より養護教諭として赴任した学校現場は非常に「わかりにくい」世界であった。保健室内で全校生の五%の対応に振り回される中、顔の見えない九五%の予防・啓発が常に気になり、教員は校務分掌によって違う方向を向いているように思い、一体感を感じることができずにいた。

 複雑な立場の下に隠された個人。その内に答えがあり、推測ではなく事実の中に目的や方向があるのだと考えると、シンプルに自分のなすべきことが理解できた。既成概念が壊れる衝撃や、手持ちのカウンセリング技術が増えてゆく楽しみも再実感した。どのように何を聴くのか、その技術は不易流行であろう。時を経ても柔軟な自分であるよう努めたい。

〈啓明学院中学校・高等学校教諭〉
キリスト教学校教育 2005年11月号4面


キリスト教学校教育同盟