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クリスマスメッセージ
キリスト教教育の特色は何か
岡野 昌雄
 
 毎年クリスマスの季節になると、街じゅう至る所で讃美歌やジングル・ベルが流れ、クリスマス・セールの呼び声がかしましく、日本はキリスト教国になったのかと錯覚するほどの賑やかさです。学校や職場や家庭で、クリスマス・パーティと称する催しが盛んです。クリスマスを祝うのは、クリスチャンだけでも、教会だけでもなくなりました。不思議な社会現象です。明治以降日本の近代化にとって伝道の熱意に溢れた外国人宣教師たちの力が大きかったことは誰もが認めるところです。特に学校教育において彼らの功績は大きかったと言わねばなりません。私学の役割の多くをそうしたキリスト教学校が担ってきたと言っても過言ではないでしょう。しかし、クリスマスと同じように、クリスチャン人口は一向に増えないのに、今やキリスト教学校が何の抵抗も無く日本社会に受け入れられているのは皮肉です。つまり由来はキリスト教であっても、実際はあまり関係ないと思われているからでしょう。

 教育は中立でなければならないので、特定の価値観を押し付けるような宗教教育を行う学校に公金を支出するのはおかしいという議論も聞かれます。特に義務教育課程の学校で、通常は礼拝形式で行われる入学式や卒業式において、日の丸の掲揚や君が代の斉唱が強制される日が来るかもしれません。大学においても、学問は普遍的であり、宗教色を鮮明にすることは差別になるという主張が根強く、クリスチャン人口が少ないことも相俟って、おそらくキリスト教主義大学の教員の大半はノン・クリスチャンであり、クリスチャンがマイノリティであるというのが普通ではないでしょうか。キリスト教学校では、特定のキリスト教的価値観を教育するという先入見あるいは呪縛から一度解放される必要があるように思います。現代のように価値の多様化が当たり前という時代には、キリスト教価値観なるものも多様性の中に埋没してますます力を失って行くように見受けられます。

 教育という共通の営みをする学校において、特にキリスト教信仰に基づく教育をするという場合、そこではいったい何が語られねばならないのかをじっくりと考える必要があります。それがはっきりしないと、長い伝統を守るだけではキリスト教学校は成り立たないでしょう。キリスト教学校の教育の特色とされる隣人愛も人格教育も日常化されれば、クリスマスのように、キリスト教とは無関係に人々に受け入れられるでしょう。学問は価値中立でなければならないという主張にも反論できなくなります。個人でも社会でも、およそ人間が抱える根本的な問題、価値から中立と言いながら自己の思想や価値観に固執する自己絶対化、そうした問題性に対して、唯一絶対の神のみを畏れ、あらゆる人間的なものを相対化してそこから解放され自由になれる視点を積極的なメッセージとして発することが大切ではないでしょうか。自分の信じている神は絶対だから自分の信仰も絶対だという、とんでもない錯誤や思い上がりが多くの悲劇を生み出している現代において特にそう思います。

〈フェリス女学院学院長、同盟理事〉
キリスト教学校教育 2005年12月号1面


キリスト教学校教育同盟