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「キリスト教学校教育」500号を記念して
田中 弘志
 
 本同盟の機関紙「キリスト教学校教育」がこの六月号で五〇〇号に到達した。一九四七年(昭和二十二年)創刊の「基督教教育新聞」から通算すると五九四号で、来年の一月号が通算六〇〇号になる計算である。先輩諸氏の地道な努力の積み重ねに対して心からの敬意を表すると共に、この機会に改めてこれまでの歩みを簡単に振り返っておきたい。

一九一〇年(明治四十三年)に基督教教育同盟会として発足した本同盟は、一九四七年(昭和二十二年)六月の臨時総会で機構の改正を行って本部事務所の開設と専任総主事の常置を決議し、同年十一月に「基督教教育新聞」第一号が刊行された。そこには「本同盟会は加盟各学校と緊密なる連携を図り基督教教育の徹底を期するため、教育研究委員を委嘱して委員会を開催、その具体策をねることとなった」という記述があり、教育上の諸問題の検討、各学科別の研究会・講習会等の企画、教授法の研究、教科書の編纂、教師名簿の作成等が具体的課題として言及されている。また初代総主事の矢野貫城先生は基督教教育新聞主筆として「キリストのために愚となれ」と題する短い随想の中で、一コリント4・10を引用しつつ、「キリストを信じ、之に総てをまかせて進む生活は見方に依れば世に見栄えのしない愚な生活である。然し世間と人の思いとを標準とせず、キリストとの現実の関係がはっきりとして居て、其の関係を中心として生活する生活としなければ真の生活であり得ない」と述べておられる。

次いで一九五六年(昭和三十一年)五月の第四十四回総会において全面的な規約の改正が議決され、組織自体も基督教学校教育同盟と改称された。その規約第七条に教育研究委員会を常設することが定められ、教育研究委員会は地区協議会とならんで教育同盟事業の大きな柱の一つと位置付けられている。翌一九五七年(昭和三十二年)にはかねてよりその必要性が論じられていた広報委員会が正式に発足したが、記録によればその目的については「この委員会は、教育研究委員会の事業における編集および広報の面を担当し、また、キリスト教界内外のジャーナリズムに対し、スポークスマンとしての面も兼ねる」と記されている。広報委員会はあくまで教育研究委員会の広報部という性格であったことが分かる。当初は「基督教教育新聞」の本紙とは別に「教育研究委員会版」を隔月に発行する計画であったが、これは長く続かず、結局は本紙と合併して毎月四ページを発行することになったようである。そして同年四月発行の第九五号より「基督教教育新聞」は「キリスト教学校教育」と改題し、毎月一回四ページを刊行することとなった。

このように見てくると、本教育同盟の中心的な役割は一貫して教育研究委員会が担ってきたことが明らかであり、それはとりもなおさず本同盟の使命があるべき教育の実現、それもキリスト教信仰に基づく真の人格形成、人間教育の実現を目指して、加盟各校がどのように協力し、知恵を結集し、必要な研鑽を積んでいくかというこの一事に集約出来ることを示している。折しも教育基本法改正、憲法改正論議が本格化しようという昨今、私たちには聖書の光に照らして「本当に重要なことを見分けられる」力を身に着ける必要がある。この機関紙を通してますます幅広い意見の交換、情報の交換がなされることを願っている。


〈女子学院院長、同盟広報担当理事〉
キリスト教学校教育 2006年6月号1面


キリスト教学校教育同盟