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礼拝説教

あなたがたも人にしなさい

レビ19:18、マタイ:7〜12

 佐々木 哲夫

イエス・キリストの時代の二百年ほど前のことです。ユダヤの国に、シャンマイとヒレルという二人の代表的な律法の指導者がいました。ある日、改宗者が彼らのところへ行き、片足で立っている間に律法の本質を教えるよう頼みました。厳格な学派の指導者シャンマイは、その男の無礼さの故に彼を追い払いました。他方、柔軟性のある学派の指導者ヒレルは「自分にされたくないと思うことは他の者にしないように」と説きました。この教えは、イエス・キリストの時代においても人々の倫理概念だったことでしょう。そのことを考慮しながら、イエス・キリストの言葉「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」について考えたいと思います。
 さて、ヒレルの説いた「自分にされたくないと思うことは他の者にもしないように」は、及第点を取れる可能性のある命題だと思います。消極的ですが、他者に何もしなければ命題に応えることができます。他方、イエス・キリストは、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と命じます。これは行うのに難しいです。なぜなら、「人にしてもらいたいと思うこと」は、無限に湧き出てくるからです。無限にあるそれを「あなたがたも人にしなさい」というのですから大変です。しかも、「されたくないことは他者にしない」との概念の上に積み重ねられた命題ですから、相手の気持ちを配慮しなければなりません。とても実行は不可能に思えます。黄金律とも呼ばれるこの命題を前に、途方に暮れてしまいます。
 数年前のことですが、奉職している大学の卒業式が行なわれた日の夕方、あるご婦人から事務室に電話がかかってきました。ちょうどその日、その方は、乳母車の赤ちゃんを連れて地下鉄を利用して仙台駅に行こうとしていたのだそうです。ところが、運悪く卒業式帰りの学生で混雑する時間帯にぶつかってしまい、数回電車を見送ったのですが、余りにも満員電車が続くので、とうとう思い切って電車に乗り込んだのでした。ところが、乗り合わせていた卒業生数人が、円陣を組んでその方と赤ちゃんを囲み、押しつぶされないように守ってくれたというのです。しかも、学生たちは、降りる予定の駅を乗り越して仙台駅まで一緒に行き、降りてから乳母車を広げて赤ちゃんを乗せるのを手伝い、反対ホームの電車に乗って戻ったのです。ご婦人は電話で「せちがらい世の中にあって、本当に感動しました。私の子供が大きくなったら、そのような教育を行っている大学に入れたいと思います。とてもうれしかったので、誰かに話したくなり電話したのです」と語ったのでした。
 黄金律を前にして途方に暮れる思いすらしました。なかなか出来ないことだからです。しかし、聖書の言葉に育まれるとき、聖書の価値観は染み込むように学生や生徒のうちに吸収され、そのような生き方へと導いてくれるのです。教える教師も、教えられる学生も、全く意識しないのですが、そのような教育の結ぶ実は確かに現されるのです。これは、キリスト教学校に与えられている祝福のひとつです。そのような教育に参与している恵みに感謝するものです。

〈東北学院大学教授、宗教部長〉
キリスト教学校教育 2006年9月号1面


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