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夏期研究集会に参加して
-ひとこと-

キリスト教主義学校に
働くことの重みと喜びについて
小 池 茂 子

夏休み直前、大学での公務に一区切りをつけ向かった先がキリスト教学校教育同盟主催の「夏期研究集会」であった。四月の大学着任以来、無我夢中で日々を過ごした感があった私だけに、自然と静寂に満ちた御殿場の地で主題講演や礼拝を通して思索し、キリスト教主義学校に奉職する先生方との祈りや語り合いを通じて自らの在りようを考える豊かな時を与えられたことを心から感謝している。

近藤勝彦先生の主題講演では、今日の社会の中にあってキリスト教主義学校といえどもこの世の利益を追求することを目的とした教育に拘泥していないかという問題が投げかけられた。キリスト教主義学校では「神が人をつくられる」その業に私たちが用いられているという使命感をもって教育活動に当たる必要があること、そのために学校教育の「公の場」で聖書が読まれ、礼拝がささげられ、祈りがささげられることが最低限守られるべきこと、またそこから特徴ある教育が展開されていくことがあってしかるべきことが語られた。今回の、研究集会を通じて一番印象に残った事柄は次のことである。近藤先生への質問として「時として大きすぎる理想は現実との乖離において、自らを潰す爆弾となってしまうことがあるのではないか。今日のキリスト教主義学校の現状について考えるとき、理想と現実のギャップの問題について先生はどのように考えられるか。」との問いが投げかけられた。これに対して近藤先生は「(未だ見ぬ)理想は終末論的視点を持っていつかやってくると信じることが必要である。それを信じて今というプロセスを大切にすること、そして日々の努力を惜しまず生活の中に理想に通じる断片を見出し、そのことを喜びつつ祈りと確信を持って前に進んでいくことが必要であろう」と回答されたのである。私はこの回答の中に驚きとも喜びともいえない感動を覚えた。これは聖学院大学に招いていただき、そこで与えられた使命をこれから自らがどのように証しして行けるのかというあまりにも大きな課題の前で自分の非力さを感じ不安を抱いていた私に与えられた一筋の光のような気がしたからである。さらに分団討議を通じてどの先生方も、ご苦労されながらも地道にご自分の遣わされた場で主から与えられた使命を日々担っておられることを知らされたのである。私は、今回与えられた多くの教えや確信をむねにこれからの大学での生活を歩んでいこうと思う。

 最後に、この研究集会に際し準備から運営に当たってくださった諸先生、スタッフの皆様にここに心からの感謝を申し上げ私のつたない感想とさせていただく。

〈聖学院大学講師〉
キリスト教学校教育 2006年10月号3面


キリスト教学校教育同盟