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キリスト教Q&A

教  派
魚 屋 義 明

 キリスト教の教会といっても「どこも同じ」というわけではありません。教会によってムードも異なります。カトリックとプロテスタントに代表されるようにキリスト教にも派による違いが存在します。今回はキリスト教の派についての質問にお答えします。

Q1 仏教には宗派がありますが、キリスト教にもあるのですか。

A 一般的にキリスト教の三大宗派といわれるのは、西方教会(ローマ・カトリック)、プロテスタント教会、東方教会(オーソドックス)です。歴史の中でこの三つの宗派に分かれました。イエス=キリストの死後、迫害下にあってもキリスト教はローマ帝国の中で着々と勢力を伸ばしてゆきました。そして四世紀にはコンスタンチヌス帝により公認され、その後、遂にはローマ帝国の国教となりました。ローマ帝国内には五つの中心的な教会(五本山)がありましたが、西のローマ教会と東のコンスタンチノープル教会が有力となり、ローマ帝国の東西分裂をきっかけとしてこの二つの教会を中心に西方教会と東方教会に分かれることになりました。さらに、十六世紀に至って免罪符(贖宥状)問題を契機としてドイツにルターによる宗教改革が起こり、西方教会はローマ・カトリック教会とプロテスタント教会に分裂しました。キリスト教はこのように三つの宗派に分かれましたが、いずれも古代教会との連続性を持つということができます。

Q2 主な教派にはどのようなものがありますか。

A 主としてプロテスタント教会内の諸派を教派といいます。プロテスタント教会は信仰の自由を強調し、またローマ・カトリック教会のような統一の組織を持たないために多くの教派が生まれました。例えば、ルター派、改革派、長老派、会衆派(組合派)、バプテスト派、メソジスト派、英国国教会(聖公会)などがあります。日本では戦争の時、プロテスタントの諸教派は日本基督教団として合同させられました。戦後、日本基督教団から独立し、再び教派としてまとまった教会もありますし、日本基督教団に残った教会もあります。

Q3 普遍的真理であるはずなのに何故多くの派があるのですか。

A 教会は確かにイエス=キリストの十字架によって罪を赦されたと信じる人々の共同体です。しかし、人間の罪そのものがなくなったというのではありません。信仰者の共同体であっても人間は罪から自由になることができないのです。普遍的真理が一つであるのに、一つになることができない原因はここにあります。ただ、多くの派が存在することは決してキリスト教の本質を損なうことではないと思います。以前、ある先生に同じ質問したことがあります。その時次のような答えが返ってきました。「派の違いは服の色が違うようなものだ」。この答えが全てを語っているように思います。着ている服の色が違っても中身は同じ人間です。これと同じように、教会は、組織・制度・典礼(儀式)の数ややり方などが違ったとしても、同じ一つの普遍的真理の上に立っています。どの派であっても同じ「聖書」を神のみ言葉として信じています。そして何よりもイエスを救い主(キリスト=メシア)と信じる信仰によって一つに結ばれています。教会はその多様性にもかかわらず本質的には一つなのです。

Q4 どの教会に行けばよいのですか。

A どこの派でもかまいません。ただ、異端とみなされるグループもありますので注意する必要があります。宗教主任・聖書科の先生などに相談するとよいでしょう。キリスト教の派は人間をイエス=キリストに導く「豊かな多様性」と考える事ができます。人にはそれぞれ「好み」があります。各々の派、教会によって雰囲気も随分と異なります。私たちは自分に合った、相性のよい教会を探すことができるのです。いくつかの教会をまわって自分に合った教会を探し、その教会に行くのが一番です。「どの教会がよいか」は人によって違います。自分に合った教会を見つけ、その教会に長く通い続ける事が何よりも重要なことです。

〈女子学院中学校・高等学校聖書科教諭〉
キリスト教学校教育 2006年10月号8面


キリスト教学校教育同盟