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今日の社会崩壊とキリスト教教育

阿久戸 光 晴
 明治以来各キリスト教学校は、寄附行為の認可を得て国家からの法人資格を受けるために、また寄附行為の根本(すなわち学校の存在理由規定)を維持して生徒に然るべき卒業資格を与えるため、種々の苦闘と知恵を(創造的妥協を、そして時には後退的妥協も)要してきた。敗戦を機に制定された日本国憲法と教育基本法は、日本のキリスト教学校にとって正に「ミラノ勅令」(寛容令、紀元三一三年)であった。はじめて自由に大きく飛躍の機会を得たキリスト教学校において、明治以来に続いて戦後も先人たちの大きな教育的貢献と成果はあったが、しかし現在大きな壁にぶつかっていると思われる。それは何であろうか。これはキリスト教学校だけの問題でなく、日本における教育機関は共通の課題に直面していると思われる。すなわち、何が問題で(What)、なぜ問題が生じ(Why)、それなら如何にその問題に対処するか(How)ということであろう。国家も「教育再生会議」を招集し、これらの課題に答えようとしている。しかしその主題は、すべての教育的問題の根源に憲法と教育基本法の存在を見て、特に改訂の容易な教育基本法に的を絞ろうと「愛国心」を中心に、議論を始めており、改定案の国会上程は間近である。キリスト教学校はこうした方向性が正しいものであるか、沈黙していることが良いのであろうか。私たちは誤れる方向性を正しながら、しかも現代日本社会の根本問題について、方向性を打ち出す任務があろう。それが先人の命を懸けた教育的使命にも応えることになるからである。

近年の、日本を含む世界の歴史的社会変動は著しく、この大きな変化のWhatWhyについて正確な認識を持つことからHowが可能となる。キリスト教学校の強みは明治以来一貫して、公立校や国公立大学と異なるその固有の建学の精神とそれに基づく献身的な教育奉仕であった。その建学の精神を堅持しつつ、しかも堅持のためには正しく支える担い手を継続的に育成しつつ、献身的教育実践を現実に即して行っていく必要がある。それは単に日本のキリスト教学校の存続というだけの問題ではない。日本の将来にとって根本的課題に誰かが取り組まなくてはならないからである。現政権の伝統復古的方向性で若人の教育を行って、日本はもとより世界の平和と発展に貢献できる「人格の完成」へ行けるであろうか?

 今回の第四十九回学校代表者協議会では掲題の主題をまず考え、その上で五つの分科会で協議を深める。すなわち、@日本国憲法と教育基本法(まさに根本問題である)、A古い規範の崩壊としての家庭崩壊と学力崩壊への対処(二つの崩壊には関連性がある)、Bキリスト教学校の次代の担い手の発掘と経営(組織・体制論を抜きにして現状の課題は突破できない)、Cアドミッションとキャリアガイダンスの再点検(学校の成り立ちの現実の問題である。特に少子化時代とどう取り組むか)、Dゆとり教育の再評価と同教育世代への教育のあり方(ゆとり教育とは自由の正しい使い方の育成課題である)。

現在は前述のとおり、あの「ミラノ勅令」を大きく変質させることによって、教育的根本問題が処理されようとしている。その誤謬はもとより、本当の課題が何ら手付かずのままになりかねない。むしろキリスト教学校の本当の使命が問われるのはまさにこれからであろう。ともに真摯に話し合いたい。

〈聖学院大学学長〉
キリスト教学校教育 2006年11月号1面


キリスト教学校教育同盟