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今、私たちが問われていること

荒井 献

「安息日は人間のためにできたのであって、人間が安息日のためにできたのではない」。このイエスの有名な言葉のなかの「安息日」は、当時のユダヤ社会では「律法」の象徴語であるが、一般的には「法律」ととってよかろう。現代日本の政治的・社会的文脈では、それは、日本国憲法や教育基本法のような、国家や教育の根幹にかかわる「法律」、あるいはそれを制定する「国家」そのものに通底している。

私たちは戦時中に、「国家のために存在した」ということに対する深刻な反省から、「国家は私たち個々人のためにある」という認識に達し、この認識を実現すべく、新憲法や教育基本法を受容したはずである。ところが、現在これが国会で、「人間が国家のためにある」方向に変えられようとしている。聖書に基づく教育を志向する(はずの)キリスト教学校は、今、このような動向にどう応えようとしているのであろうか。

 恵泉女学園では、創立者河井道が敗戦直後、新政府における「教育刷新委員会」の一員として教育基本法の成文化に寄与しているだけに、すでに本年三月二十七日付で、「国旗・国歌について―恵泉女学園の公的立場」という文章を学園長・大口邦雄名で学園内に向けて公布している。これは学園構成メンバー内部の申し合わせで、今のところ学園外に公表していないので、ここにその全文を紹介することはできないが、その主旨は、「国旗を掲げ、国歌を歌うことは個人の自由に属するが、これを公教育の場において、いかなる意味においても強制すべきではない」というものである。実際、安積力也・中学高等学校長などは早くから、「個人の尊厳」を重んじ、「人格の完成」を目指す教育基本法の「教育原理」の重要性を、学内外に、発信し続けている。また、大学教職員有志は、十一月一日付けで「教育基本法『改正』法案反対のアピール」を公表し、十四日には木村利人学長が同盟他大学学長と共に国会内で記者会見した。

 幸い、去る九月二十一日に東京地裁で、都教委が出した「国旗・国歌」についての通達や職務命令は、「日の丸・君が代」の強制に反対する教職員の思想・良心の自由を侵害することになり、憲法十九条に違反するという判決が出された。しかしこれは、現憲法と教育基本法のもとでの判決である。「国民は国家のためにある」という認識に基づく教育基本法改正法案や改憲法案が国会で成立したら、この判決は覆される可能性が十分にある。

 これは、国公立学校にかかわることで、私学にとっては「対岸の火事」と思っている向きもある。しかし、すでに文科省筋から「国旗掲揚・国歌斉唱」の実施について、あるいは「心のノート」の配布実績について、全国の私立学校長宛に調査の依頼が来ている。恵泉では、それらに対して零回答をした。他のキリスト教学校がこれにどのような対応をしたかは知らないが、「国旗・国歌」問題は決して「他人事」ではない、改正法案や改憲法案が成立したら、それに決断を迫られる、私たちにとっての重大事なのだ。

 このような現実に直面して、学校全体に批判的思考力を育むことなしに「学校伝道」を力説していては、キリスト教教育が再び国家権力に飲み込まれるのではないか。

(十一月十四日記す)

〈恵泉女学園理事〉
キリスト教学校教育 2006年12月号1面


キリスト教学校教育同盟