ホーム < キリスト教学校教育 < 07年04月号 < 1面

聖書のことば
上田亜樹子

 「人に惑わされないように気をつけなさい」

                             (マルコ13・5b)

 日本のミッションスクールが日々置かれているチャレンジは、世界的に見てもかなりユニークなものだと思う。「宗教はアブナイ」という世間の常識の中で、宗教を持つのは何故危なくないのか、キリスト教が実は魅力溢れるものであり、人を自由にし、のびのびと生かすものであることを、聞く耳を持たない人、全くキリスト教に興味のない人に向けて、発信し続けるのが使命だからである。

 こんな状況の中で、学生が「洗礼を受けたい」と決心して申し出てきた時は、単純にうれしいものである。彼らに対し、必要な牧会的配慮は、勿論なされなければならないが、一方で、私たちキリストを信じる者にとっての誘惑は、「人に惑わされない」で、神を信じるということをこちらはすでに知っている、と思いたくなることである。こんな時に親から「惑わさないでくれ、洗脳される為に入学させたのではない」と怒鳴りこまれたり、「自分をしっかり持っていれば、宗教なんかに頼る必要はないのだから」と主張されたりすると、どうして違いがわからないのかと思いたくなる誘惑である。特定の神など認めないことが最も自由な生き方であり、宗教とは束縛以外の何ものでもない、という「常識」の中で生きてきた人々と、実はそう変わらない自身を認める時、はじめて彼らと対話が可能になるように思うのである。

 自分の信仰は突然天から降ってきて湧いたという人もあるかもしれないが、実際私たちは、自分の体験した範囲での想像をはるかに超えた人の暖かさや愛に触れ、あちらから働きかけてくださる神の奇跡と存在とに出会い、はじめて信仰に至ることが多い。こういうかたちで伝わってくる福音の性質として、「人に惑わされ」自分の都合のために神という「幻覚」を温存しているように見えることは避けられないし、実際本当にそうでないのかどうか、生涯問い続ける責任と使命があるのではないかと思う。

〈立教大学チャプレン〉
キリスト教学校教育 2007年04月号1面


キリスト教学校教育同盟