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大学部会研究集会

今、教育に問われていること
-「教育基本法改正」をめぐって-

関東地区

小 室 尚 子

本年度関東地区大学部会研究集会は、二月二十三日立教学院太刀川記念館を会場に、昨年末の国会における「教育基本法改正」の決議を受けて「今、教育に問われていること―『教育基本法改正』をめぐって―」を主題として開催された。出席者は三十七名であった。従来、本研究集会は、半日のプログラムで発題と討議の形式をとって来たが、今回は、講演・パネルディスカッション・討議を内容として、一日のプログラムで開催し、研究テーマをより深めることができた。
 開会礼拝は、ルーテル学院大学の江藤直純先生により、エレミヤ書17章9、1014節の御言葉から、スピリチュアルヒーリングを求める世相の中、真のパンの与え手である唯一の神を見定め、その信仰に支えられて与えられた教育の現場で働きに励むことを奨められた。
 講演は、宮城学院院長深谷松男先生を講師とし、「新教育基本法をどう受けとめるか」と題する講演を伺った。「キリスト教学校は教育基本法に自覚的に取り組んで来たか」という問いかけに始まり、キリスト教学校として「教育基本法」を正しく捉える必要を、旧基本法と新基本法の比較に基づいて論じられた。中心点は、旧基本法の軸となっている日本国憲法の主柱である基本的人権に基づいた個人の尊厳や教育を受ける権利が抑えられ、外形的徳目主義教育を強調する形になった新基本法の問題点の指摘。また、キリスト教学校が、その新基本法の下で、それを越えて教育の使命を遂行するために、国の法制に対して自由と主体性を持つべきことを強調された。
 午後のパネルディスカッションは、吉馴明子先生(日本政治思想史・恵泉女学園大学)、竹内久顕先生(教育学・東京女子大学)、千葉眞先生(政治思想史・国際基督教大学)をパネリストとして行われた。

吉馴氏は発題タイトルを「教育基本法制定者の意思と教育基本法改正者の意思」として、歴史的経緯をふまえた上で、教育刷新委員会(一九四六)における教育基本法制定への意思に比較して新基本法の問題点について述べられた。新基本法は、教育勅語が包含していた閉じられた日本的価値体系への逆行ではないか、また人間性の開発は個人の尊厳に基づくべきものでありプロセスが大切であること、そしてキリスト教学校が負う使命の自覚を促された。

竹内氏は、タイトルを「改定教育基本法のもとにおける宗教系私学の課題」とし、教育学の立場から、新基本法の条文解釈における可能性について、主に「大学」(第七条)、「私立学校」(第八条)、「教員」(第九条)、「宗教教育」(第十五条)について発題され、条文が含む問題点の詳細に目を向けることを促された。

千葉氏は、「教育と政治を考える」として、政治家等による「聖域なき構造改革」に対して、侵すことのできない社会の「聖域」(宗教や信教の自由の領域、社会の弱者の領域、教育現場)を提示され、その聖域が、構造改革の名の下に蹂躙され切り捨てられている現実を新教育基本法の中にも指摘された。また教育基本法を考える上で、その背後にある公共哲学が何であるのかを考えておく必要を示唆された(旧基本法では基本的人権、国民主権、平和主義に公共哲学を見ることができる)。
 その後の討議では、キリスト教学校の姿勢、「愛国心」教育について等多くの意見が交わされたが、それらの中から以下のことを明記しておきたい。

教育基本法に対するキリスト教学校とキリスト教学校教育同盟の在り方について、教育同盟は、単なる友好団体ではなく、キリスト教学校が共通の課題、問題を共有し、必要があればキリスト教学校としての一つの方向性を考えて行く母体となる団体である。とくに教育の問題については、どのような姿勢をとるのか明確にしておく必要があろう。でなければ政治に蹂躙されてしまうのではないか。この世の問題に対して、それを越えたところで(福音に立って)明確な意見を述べるためにも必要である。例えば、新教育基本法について考えるならば、教育基本法の基盤であるべき「基本的人権」の原理についての捉え方、考え方を確認しあう事ができるのではないか。とくに以上の点において出席者相互で理解の共有ができた。

キリスト教学校教育同盟の在り方を考える機会ともなり、まことに有意義な討議の時間となった。最後に青山学院女子短期大学の伊藤勝啓先生の祈祷をもって閉会した。
(注 講演者、各パネリストにより、旧教育基本法と改正教育基本法の呼称に相違があったが、本稿では紙面の都合もあり、旧基本法と新基本法と略式表記した。)

〈東京女子大学准教授〉
キリスト教学校教育 2007年04月号2-3面


キリスト教学校教育同盟