ホーム < キリスト教学校教育 < 07年04月号 < 4面


<シリーズ>
生きる 学校は今 Part2


日本聾話学校
ライシャワー・クレーマー学園
<東京都町田市>


「愛はいつまでも絶えることなし」
(コリントT13・8)

-可能性は空の極みまで-

西 海 昭 延

 本校は東京都町田市郊外、多摩丘陵の野津田の丘にある、日本で唯一の私立の聾話学校です。

 創立の由来と神の意志

 本校は、一九二〇年四月二十八日に宣教師であった、ライシャワ夫妻により設立されました。故大嶋功元校長が、日本聾話学校設立の動機となったライシャワ夫妻の長女フェリシアの失聴とその教育について次のように記しています。

「この力弱きものの癒され難い傷は、それによって彼女もまた、この家族の一員たるにふさわしく、日本に奉仕する恵みのとげであったのだ。フェリシアの聾の真の原因は、彼らが信じ、彼らを愛し、彼らを日本に遣わした、イエス・キリストの父なる神の聖なる意志であったことを、夫妻は苦悩と祈りと希望と労苦とを通してはっきりと知った。『日本の聾児とその家庭の真の幸福のために、口話法の教育を日本に移す』使命の遂行のために夫妻は祈りに祈った。日本聾話学校設立の出発点が、悲しみと喜びの涙の経験に基づいている由縁である。この出発点を共有するということは、親の悲しみと喜びの涙を共有することである。その背後に人間を超えて人間を導く神の意志があることをまた苦悩と祈りと希望と労苦とを通して気づいたのである。」

私達は、まず何よりも子どもを愛し、理解し、親と親しみ、心のこもった対話を通して共に育ち、その中でこの営みの出発点と行方に神の心と力があることに気づき、絶えずここに立ち返り無限の成長を志し続けなければならない、と考えています。

聴覚主導の人間教育

本校は、乳幼児から中学卒業まで一貫して聴覚主導の人間教育を行っています。乳幼児期から最適に調整された補聴器と人工内耳を使って、残された聴力を最大限に生かし、聴覚を通して日々の生きたことばのやり取りを積み重ねることにより、単にことばだけでなく、子どものより良い全体的な成長発達を促します。また一人ひとりの成長に応じて健聴児の中で学ぶ機会を与え、社会の中で望ましい人間形成ができるようにサポートします。そして子ども達が生まれてきて良かった≠ニ思えるように育つように励んでいます。

心臓部のオージオロジー

「補聴器を両耳につける」、しかも出来るだけ早期から装用し、残存聴力を最大限に活用する。本校では、オージオロジー部を独立して設け専門スタッフをおき、補聴器と人工内耳に関する保守・管理と聴力測定、フィッティング、調整と耳型など、また十分な聴力保償のための赤外線補聴システム、磁気ループシステム、FMシステムの活用が常に充実した内容で教育が行われるようにしています。

早期教育が重要

聴覚に障害を持って生まれた幼児は、音声言語の獲得が困難になります。早く発見し、教育を始めることが非常に大切なことであり、乳幼児期の親子の豊かな安定した関わりが、子どもの発達の基礎となります。本校では0才からの親子を具体的にライシャワ・クレーマ学園で指導しています。

インタラクション

聴覚障害は「関係性の障害」とも言われています。インタラクション(対話)は、その障害の克服のために重要と考えています。他者との信頼関係を築き、安心感を育て、解ってもらえると同時に、話すことの楽しさを身につけ、人と交わることを恐れない人、また自分の思いを相手に伝えたいという思いを培うため、毎日一対一での対話の時間を幼稚部・小学部・中学部でとり、教育しています。

本校は全国の心ある多勢の人々、教会、学校、団体などの祈りと援助により成りたっている学校です。本当にありがとうございます。皆様の応援に応えるよう励んでまいります。

〈日本聾話学校校長〉




沖縄キリスト教学院
<沖縄県中頭郡西原町>


学院の歩みと取り組み

神 山 繁 實

学校法人「沖縄キリスト教学院」は、一九五七年四月九日に「沖縄キリスト教団首里教会」の一郭から、十四名の学生をもって始められた。本学の特色は、第二次世界大戦後、沖縄の教会が祈りを込めて、戦禍によって荒廃した郷土再建のため、沖縄における精神的指導者養成のため、キリスト教学科一科のみのきわめて小さな二年制大学を立ち上げた。一九六二年、首里教会から小高い首里城址の一郭にキャンパスを移転した。この頃から本格的なキリスト教高等教育機関として機能し始めたといえる。一九六三年に英語科と児童福祉科が設置され、特に、児童英語科は、当時の琉球政府(米軍管理下)の要請によるもので、これまで沖縄県における幼児教育部門では、有為な人材を輩出してきた。一九七〇年、キリスト教学科は、二年間応募者ゼロという実情に鑑み、キリスト教学科の廃科を決定したが、二年の神学教育で牧師を育てるのは困難であるという認識のみならず、本格的な神学教育は、日本基督教団系の神学校に委託した方がよい、との判断があった。それにもう一つは、一九六九年の沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同という教会的な背景もあった。

第二段階は、沖縄の日本復帰に伴う事項で、一九七二年五月、沖縄の復帰に伴う文部省関係の特別措置等に関する法令により、学校教育法による短期大学となった。復帰を前にして、その後、文部省令による短期大学として生きるか、各種学校として生きるかをめぐって、かなり議論がなされた。キリスト教教育をしっかり実施するためには、各種学校として教育事業を進めるという意見もあったが、理事会と教授会は、文部省令による短期大学として歩む決断をしたのである。

 第三段階は、一九八九年九月、首里キャンパスから西原キャンパスに移転したことである。臨定の恒常化を図り、英語科入学定員は、二百五十名、保育科は百名となり、当時の沖縄では、国立の琉球大学に次ぐ難関校であった。「英語のキリ短、保育なら保育科」といわれていた全盛時代であった。

第四段階は、二〇〇四年四月、沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科を立ち上げたことである。当時、地方の短大で英語科入学定員二百五十名という数が、あまりにも大きすぎるだけではなく、やがて英語系は斜陽を迎えるであろうと予想したからである。計画は、短大英語科の入学定員二百五十名を百名に減じて、四年制に百二十名もっていくということである。当初の四大設置を本学院創立五十周年事業に間に合わせて、二〇〇八年四月の予定であったが、その時期まで先ず短大英語系入学定員二百五十名を持ちこたえるのは無理との判断から、急遽立ち上げを四年短縮したのである。

二〇〇七年度、本学にも定員割れ現象が生じてきた。この解決が緊急の課題である。二〇〇六年度の入学決定者は、四大入学定員百二十名に対して百十名、短大英語科入学定員百名に対して九十名、保育科百名に対して百二十三名で、二学科に定員不足が生じている。本学の定員割れについては、学生募集、入試技術の拙さがかなり影響しているので、その改善策を早急にとる予定である。例えば、一般試験の募集を五十名としている点等は、技術的貧しさを露呈している。沖縄県内の大学で一般試験の学生募集を一学科五十名に据えているところはどこにもなく、殆どが十五名多くて二十五名である。また、四大英コミ三年編入の基準が高く、七名の応募者中、三名しかパスさせていない。残り四名は、他大学に編入している。推薦基準も高いようで、これも若干下げる必要がる。その他、オープンキャンパス、大学紹介、入試方法の改善等、課題は多い。

大学改革の一環として授業評価は十年ほど前から実施し、授業改善、カリキュラム改革等も実施してきた。しかし、問題は、学生のやる気をどう引き出すかである。例えば、短大英語科の場合、二年終了時に四大二年終了時よりも英語力については、四大よりもレベルが高い。これを四大の学生にも適用する必要があるが、四大の学生にしてみれば、短大は二年しかないが、四大は四年あるという論法をとっている。本学は、短大を土台にした外国大学との提携校が北米、中国、台湾、フィリピンにあるが、特に、北米の提携校が要求する正規留学の場合、TOEFLテストは、五七五点を要求しているので、ジュニアー・イヤー・アブロードの方針を持っている本学としての二年終了時のTOEFL及びTOEICの必要基準を基本的方針として設定する必要がある。それで、現代学生気質をどのように利用していく技量が学校側に要求される。
 現在本学では、「資格取得奨励給付金制度」を設け、二〇〇六年度から次のような基準を設けて実施しているが、反応は上々である。例えば、奨励金十万円対象は、実用英語技能検定一級、TOEIC八六〇点以上、TOEFL-CBT二五三点以上、TOEFL-OBT六一〇点以上、奨励金英語技能検定準一級、TOEIC七三〇点以上、TOWFL-CBT二一三点以上、TOEFL-PBT五五〇点以上、一万円対象は得いつ用英語技能検定二級、TOEIC五〇〇点以上、TOEFL-CBT一五〇点以上、TOEFL-OBT四七〇点以上である。一年間で七十八人の学生が奨励金を獲得したが、この制度が学生たちに意欲を高めているようである。

最後に、大学経営の安定化を図る取り組みをしているが、現在の経済事情ははかばかしくなく、女子卒業生が大部分を占める本学のような場合、卒業生の支援がどれだけ得られるかが大きな課題となる。学院創立五十周年記念日にあたる四月九日を一日繰り上げて今年の復活日に感謝記念礼拝後にホーム・カミング・デイを実施することになっている。この催しは、同窓会が主催して後援会が共催する。

最後に、特色ある教育の中心的なポイントは建学の精神である。建学の精神が具現化される学校行事と活動が期待されている。経営か建学の精神かという問題では、経営と建学の精神とは関係が無いという意見もあるようであるが、由々しい問題である。現代社会の歪を癒す聖書の教えに基いた教育が今こそ求められている。学校経営も建学の精神を根本据えたものなければならない。それを実現できるのは、クリスチャン理事の自覚と教職員の自覚が鮮明でなければならないし、課題取り組みの姿勢が強く求められるところである。

〈沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学学長〉
キリスト教学校教育 2007年04月号4面


キリスト教学校教育同盟