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建学の精神
増 田 仰

冒頭から大上段に構えて恐縮であるが、教育はどの時代においても重要な課題であり、人間は解決のために叡智を傾けて来たといえる。戦後の流れを振り返ると、知育偏重といわれ、受験地獄と表現され、その解決のため、ゆとり教育が導入されたが、それが原因であるのかどうか検証はされたとは思うが、今日学力低下という問題に直面している。試行錯誤を繰り返しながら現代に到っていると思われる。

一八〇六年ベルリン大学教授フィフテが「ドイツの復興は教育にある」と講演したと伝え聞くが、今でも新鮮な響きをもっている。我が国の戦後の奇跡的な復興の一因は国民が教育に熱心であったからだといわれている。しかしながら、今まで、優れているといわれた日本の教育が国の財政状況も相まって大きな岐路に立たされている。「子は宝」と昔良く聞かされたものである。次の世代を担う若者のためにキリスト教学校として、今なにをなすべきか、そして何ができるのか、自問自答する昨今である。

いわゆるバブルが崩壊して「改革」という言葉が頻繁に使われるようになった。渾然とした状況から脱却するため、社会の変化に対応して制度や機構を改めていくことは必要なことであった。ただ、教育に関わる改革は、受益者にとって生涯にわたって有益なものでなければならない。最近「改革とは原点に立ち返ること」という提言を耳にし、目から鱗が落ちる感覚を覚えたことがある。私立学校にとって原点とは、いうまでもなく「建学の精神」である。そして、創立者達の熱い願いと祈りにより、建学の理想が掲げられ、多くの苦難を克服し今日に到っている。ある先達が「建学の精神」は私立学校の存在の根拠であり、生命の源泉であると指摘しておられる。時代がどのように変わろうとも、変わらざるものとして、みずみずしい生命力を保ち、日々の教育活動に貫き通されているかどうかを問い続けなければならない。このことの検証と評価が他の重要な改革の前提であると考えている。

 我が国の多くのキリスト教学校は今日まで、社会に良き影響を与えその役割を果たして来た。そして、教育に大きな課題をかかえている現代こそ、最も必要とされ、求められていると信じたい。知育、体育、徳育に十分応えていくことはもちろんであるが、「神を畏れること」や「公平」であること、他者を思いやる心、内村鑑三が述べた「勇ましい高尚な生涯」など、霊育ともいうべき生き方の問題を、勇気をもって、石打ちを継続することが大切ではないかと考えさせられている。

〈折尾愛真学園理事長、教育同盟維持財団評議員〉
キリスト教学校教育 2007年5月号1面


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