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聖書のことば
川俣 茂

「心にかなう道を、目に映るところに従って行け」

(コヘレト119

毎年、ある時期が来ると、学校内でも「道」や「路」という言葉をよく耳にする。言うまでもなく、「これから歩む道」あるいは「進路」という意味で、である。

自らの歩みを振り返ってみた時、それまで歩いてきた「道」は、人それぞれだと思うが、不思議と一本の道となっている。日々、何気なく過ごしていたらこういうことになっていた。これからも毎日毎日過ごしていくことによって、道ができ、その道を歩んでいくことになる。そう考えた時、「自分が道を作っているわけではなく、実は〈何か〉が道を作っているのではないか?」という思いが自然と浮かび上がってきた。

よくキリスト教学校の入学式で、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」という聖書の言葉(ヨハネ福音書1516)が掲げられたり、朗読されたりすることがある。キリスト教学校ではその「道を作るもの」を神としている。神によって守られ、神によって導かれている私たち。その守りと導きに感謝する思いが大切なのだが、それを常に覚え、常に教え、常に体験すること、それがキリスト教学校の使命ではないだろうか。

私たちは一人一人、それぞれ違った「道」を持っている。一直線の道の人もいれば、回り道だらけの人もいる。しかしすべての人に共通していることは、各自がその「道」を歩いていているということである。その道を歩いていなかったならば(実際にはそのようなことはありえないが)、今の私たちはない。

そのような「道」。「心にかなう道」かどうかは自分では判断できないかもしれない。しかし「目に映るところに従って行」くこと、そのことの方が重要ではないか。〈導き〉を〈信頼する〉、それがどういう意味を持つかを知るためにも。

〈清教学園中学校聖書科主任〉
キリスト教学校教育 2007年5月号1面


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