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第48回中高研究集会

発題要旨
恵泉女学園中学校・高等学校の
六年一貫教育の歩みの中で
松井 弘子

「私には、この役は大きすぎて」と躊躇する生徒に、恵泉女学園創立者河井道は、「自分の力を自分で決め付けるのは傲慢なこと。神様があなたに託された仕事。」と励まされたと聞く。発題を引き受けた後の数ヶ月は、恵泉女学園の六年一貫教育の「振り返り」と「課題整理」の貴重な時となった。

 女学校として始まった恵泉女学園が、六・三制開始後中学校と高等学校が分離の道を歩んだこと、クラス数や生徒数を拡大し続けたこと、また大学・大学院と高等教育部門が充実拡大し続けていることの是非を問うつもりはない。むしろ中学一年から高校三年まで五クラスずつ六学年三十クラス約千百五十名の生徒と約百二十名の専任、非常勤、事務職員が繰り広げている六年一貫教育導入後の教育の内実を検証してみた。

発題の副題は「苦闘と前進」。新しいことを切り開く楽しさよりも、発達段階の違う生徒達と向き合う難しさ、経験し慣れていたことと異質なことをする苦労、人数が増えると、コミュニケーションが不十分になる実感。教育内容希薄化の不安から解放されず、どう改善できるのか試行錯誤の日々、それが一九九九年からの数年間だった。

未来へ歩みだす勇気と順応性に満ちた生徒達に触発されて、教員達はそれぞれの部署で六年間を見通すようになった。さきがけとなったのは、進路指導部。新しい部署である入試広報部やメディア教育部は「一貫教育だからこそできること」を進めていった。同時並行で行われた教員研修会の工夫と仕掛け。教育理念が共有されていることを確認するのに時間はかからなかった。なぜか。同窓会、恵泉会、旧教職員。意思決定機関としての理事会改組もプラスに機能したが、恵泉女学園には、熱意を持った「ランターン担い手」がいて、「それ以外には何もなかった」からかもしれない。

鳥瞰図を持って教科教育に取り組む教員達は授業研究の必要性を痛感し、教科会での話し合いが活発化。発達段階の違いが明確に見えるようになり、教務部や生徒指導部が「発達段階」に即して考えることができるようになった。着実に、確実に、教員達の力量が向上している。あせらず、引っ張らず、押し付けず、あきらめず。聴くこと、待つこと、どこまでも「個」を大事にすること。結果よりもプロセスに目がいくようになった。委員会が次々設置され、多忙を極めた一貫教育の開始時期から七年目を迎えた今、校務は多少整理され、落ち着きが感じられる。学年会や校務分掌の部署の「責任と権限の感覚」が深まってきているのも事実だ。

互いの健康状態が手に取るように分かった三十名の職員室はもう存在しない。毎日専任、非常勤合わせて百名を超える教職員が職員室で仕事をしている。そこで気づいた大切なこと。一つ、教育における多様性の意味。一つ、教育には、協働でこそ可能となることがある事実。そして、何よりも、祈りあうことの恵み。六十五名の職員会議は、合意に至るまでの協議時間を要するが、礼拝の「アーメン」の響きの強さは以前とは段違いだ。まだまだ解決しなくてはならないことが山積しているが、後戻りすることはもうない。責め合うのではなく、祈りあうことを、そしてその恵みを、私たちは示されているのだから。

〈恵泉女学園中学校・高等学校副校長〉〉
キリスト教学校教育 2007年5月号3面


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